1章:恋をしてない私に、焦りがなかったことに気づいた朝
以前の私なら、恋をしていない期間は「空白」と呼んでいた。
誰かを想ってないと、自分の魅力が消えていくようで、
恋をしていない=“何かが欠けてる状態”とさえ思っていた。
でも最近ふと、目覚めた朝に思った。
「今、特に好きな人いないな」
そのことに焦るどころか、むしろ心が静かだった。
かつての私は、“恋をしていない私”がつまらなく感じていた。
でも今は、“恋をしていない私”にも、ちゃんと色があると知っている。
“恋が人生の目的”だった頃の私は、
いつも誰かを探していた。
誰かに見つけられることを期待していた。
でも、今は違う。
私は“私のままで満ちている”感覚を、やっと手に入れた。
2章:恋を「求めている」時間は、実は恋してない時間だった
恋愛にハマっていた頃。
出会いがないと焦って、
マッチングアプリを片手に「条件反射」で人と会っていた。
“恋がしたい”というより、“恋してる自分でいたい”に近かった。
それって、本当に恋だったのかな?
思い返せば、「好き」より「誰かに好かれたい」が勝っていた。
一緒にいるのに、相手の顔色ばかり気にしていた。
本当の私ではなく、“理想の私”を演じていた。
今は恋をしていない。
でも、自分のことをよく知るようになった。
「私はこういうときに不安になるんだな」
「私はこういう言葉に弱いんだな」って。
恋に頼らずに、自分の機嫌を取れるようになったことが、
なんだかちょっと誇らしい。
3章:「恋をしてない時間」が、人生を深くしてくれる
恋をしていない今の私は、少し余裕がある。
友達との時間をゆっくり楽しめるし、
仕事にもちゃんと集中できる。
趣味の読書も、映画も、ひとりで楽しめるようになった。
かつては“恋愛中心”にスケジュールが回っていた。
予定はいつも彼次第。
「会える?」ってLINEが来るかどうかに、気分が左右された。
でも今は、自分の時間に主導権がある。
恋をしていない時間が、私の人生を深くしてくれる。
「誰かと一緒じゃないと楽しめない」と思っていたことも、
実は一人のほうが自由で楽しいことに気づいた。
恋をしていない今の私も、
ちゃんと“人生を生きてる”と思える。
4章:「恋したい」より「自分でいたい」になったら、世界が変わった
もちろん、恋愛って素敵だ。
誰かと気持ちを通わせることの喜び、
抱きしめられるぬくもり、
「好きだよ」と言われる安心感。
でも、それがすべてじゃない。
かつての私は、「恋してない私」が恥ずかしかった。
誰かと過ごす週末がないと、
「何してたの?」という問いに詰まった。
でも今は、「今日は一人で展覧会行ったよ」と言える。
「夕陽がすごく綺麗だった」なんて言える。
恋をしてない時間も、物語がある。
それに気づけたことが、私の価値観を変えた。
誰かにとって“空白”に見える時間が、
私にとっては、心を耕すような時間だった。
5章:恋は目的じゃない。ただのスパイスでいい
最近思うのは、恋は“目的”じゃなくて“スパイス”でいいってこと。
なくても生きていけるけど、あると彩りが増す。
それくらいの距離感が、今の私には心地いい。
それに、人生にはいろんな“ときめき”がある。
素敵な言葉に出会ったとき、
何気ない日常の中で誰かと目が合ったとき、
おいしいパン屋さんを見つけたとき。
それだって、立派な“恋のかけら”かもしれない。
私たちは恋愛だけを“特別な経験”としすぎていた。
でも、日々の中にはもっとたくさんの感動がある。
恋がすべてじゃない。
でも、恋を否定もしない。
そのニュートラルな立ち位置が、今の私をすごく楽にしてくれている。
エピローグ:恋をしてなくても、私は今日もちゃんと生きてる
恋をしていない私に、もうラベルは必要ない。
「寂しそう」「かわいそう」なんて、勝手に言わせておけばいい。
だって私は今、ちゃんと満ちている。
恋をしない期間も、誰かを想う夜も、
全部ひっくるめて“私の物語”だから。
次に誰かを好きになるとき、
きっと私は、前よりもっと自分らしくいられると思う。
「恋がしたいから」じゃなく、「この人と一緒にいたいから」という理由で、
恋が始まるとしたら、きっとそれは人生で一番やさしい恋になる。
恋はもう、人生の目的じゃない。
でも、私の人生には、きっとまた恋が訪れる。
そのとき私は、もっと自由で、もっと美しくなっているだろう。