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“運命の人”じゃなくて、“平穏の人”を選ぶという選択

恋愛

かつての私は、“運命の人”にしか興味がなかった。

出会った瞬間にビビッとくるとか、
偶然が重なって同じ場所にいたとか、
誕生日が一緒とか、
同じタイミングで同じ曲を聴いていたとか。
そういう「物語になる恋」を、
ずっと夢見てた。

でも30代も半ばにさしかかった頃、
私はふと気づいたの。

「運命」は、ドラマチックだけど、
必ずしも“安定”とは限らない。


「彼といるとドキドキして眠れない!」
「感情がジェットコースターみたい!」
「一度離れたけど、やっぱり戻っちゃった!」

――そんな恋愛話が昔は好きだった。
というより、それこそが“本物の恋”だと思っていた。

でも、それって今思えば、“中毒”に近かった気がする。

「不安になるほど好き」って、実はすごくしんどい。
連絡が来ないだけで心がざわついて、
“既読”の文字に一喜一憂する。
「今日は彼、機嫌いいかな?」って、空気を読む恋。

それが“運命の人”と呼ばれる相手との関係だったら、
もはや私は恋してるんじゃなくて、消耗してたのかもしれない。


そしてある日、彼が現れた。

初対面のとき、特別なトキメキはなかった。
会話もごく普通。
趣味も好みも一致しているわけじゃない。

でも、彼と一緒にいると、
ご飯がちゃんとおいしくて、
夜ぐっすり眠れて、
自分の呼吸が整っていくのを感じた。

それは“ドキドキ”じゃなくて、“ホッとする”感覚だった。

彼は「今日なにしてた?」と毎日聞いてくれる。
でも「どこで誰といたの?」とは聞いてこない。

信じられている、という安心感。
私に興味がある、というぬくもり。
でも過剰に踏み込まない、心地よい距離。

その穏やかさが、最初はちょっと物足りなかった。

「私、本当にこの人を好きなのかな?」って。
あの情熱や、胸が張り裂けるような感情の波がなかったから。

でもある日、気づいた。

“安心”が“愛情”に変わる瞬間って、こんなに静かなんだって。


“運命の人”って、ロマンチックだけど、
時に「運命だから手放せない」という呪いになる。

不安やすれ違いがあっても、
「でも運命だから」と、自分を納得させてしまう。

でも、「平穏の人」は違う。

愛は、日々の中で静かに育っていく。
朝の「おはよう」の声。
夜の「おやすみ」のLINE。
なんでもない日常の積み重ねが、
じわじわと心にしみてくる。

そして気がついたときには、
「この人といると、ちゃんと自分でいられる」
そんなふうに思っている自分がいた。


今の私は、“恋に落ちる”よりも、
“恋を育てる”ことの方が尊いと思ってる。

火花が散るような恋も素敵だけど、
ずっと灯り続けるランプのような関係こそ、
長く、穏やかに、人生を照らしてくれる。

そしてなにより、“平穏の人”といると、
恋愛が人生の全部じゃなくなる。

自分の仕事、自分の時間、友達との会話――
すべてが、ちゃんと自分のものとして存在して、
その中に彼が「調和」として存在してくれている。

それって、想像以上に幸せなことだ。


きっと、かつての私だったらこう思う。

「そんな恋、つまらなくない?」
「本当に好きなら、不安になるものでしょ?」

でも今なら、こう言える。

「愛って、もっと安心していいものだった」って。

恋愛は燃え上がるもの、という思い込みから抜けたとき、
私たちはようやく、“一緒に生きていける人”を選べるのかもしれない。

“運命の人”は、人生を揺さぶる人。
でも、“平穏の人”は、人生を支えてくれる人。

どちらもきっと正解。
だけど私は今日も、
“平穏の人”の隣で、静かに笑っていたい。

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