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「『私って何者?』の沼から抜け出せない30代の本音」

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29歳の終わりに、私はふと鏡の中の自分を見て思った。「…で、結局私は何者なの?」

スキンケアは最低5ステップ、iPhoneのメモには“自分らしい生き方”に関する引用が溜まり、SNSにはそれなりに“充実した生活”を匂わせる投稿をしてる。でも、それらを全部取っ払ったとき、私という人間に残るものって何?

20代の頃、30代はもっと“大人”で、“分かってる女”になってると思ってた。けれど、30代になった私は相変わらず、人間関係に悩み、恋に振り回され、仕事に疑問を持ち、そして「本当の自分とは?」という哲学的迷路に迷い込んでいる。

“肩書き”でごまかす自分の価値

30代の今、自分を紹介する時には「広告系の会社に勤めていて、ライターもしてて…」なんて職業的なアイデンティティに頼る。でも本当は、職業が私の本質だなんて、これっぽっちも思っていない。

むしろ、肩書きに自分の価値を見出そうとしている時点で、迷子になってる証拠じゃないかと思う。仕事を辞めたら、恋人にフラれたら、SNSをやめたら、私には何が残るんだろう?

そんなふうに考えてしまう夜、ベッドの中で目を閉じながら、まるで無重力の宇宙空間に投げ出されたような感覚に襲われる。

“自分探し”が終わらない症候群

かつて「自分探し」はバックパッカーのキーワードだった。でも今や、日々のスケジュールに追われながらも、心のどこかで“本当の自分”を探してる。

アロマを焚いて瞑想しても、自己啓発本を読んでも、スピリチュアルな動画を見ても、核心には触れられないまま。

もしかしたら、“探してる自分”なんてものは、実は最初から存在していないのかもしれない。ただ、今の自分を認めたくないから、もっと正解っぽい自分を求めてるだけじゃないかって。

みんな“仮面”で生きてるかもしれない

ランチで集まる女友達。みんな笑顔で、パートナーの話や仕事の話で盛り上がってるけど、ふとした沈黙の中に、見えない“迷い”や“虚無”がある気がしてならない。

誰もが仮面をつけて、なんとなく“自分らしいふり”をしてる。もしかしたら、自分が誰かなんて、誰もはっきりわかってないのかもしれない。だけど、わかってる“ふり”をすることで、日々をやり過ごしてる。

そして時々、その仮面がズレたとき、私たちは不安になる。「やばい、私って何者?」って。

何者かになるより、“今の自分”を生きる

最近ようやく思い始めたのは、“何者かになろう”とすることより、“今の自分”に目を向けることの方が、ずっと大事なのかもしれないということ。

好きな服を着て、食べたいものを食べて、大切な人にちゃんと「好き」と言える。それだけで、充分に“自分”なんじゃないかって。

肩書きも、SNSのフォロワー数も、“イケてるライフスタイル”もいらない。ただ、今ここにいる自分を、少しずつ肯定してあげること。

それが、30代の“自分探し”の本当の答えなのかもしれない。

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