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「“好き”って、どこまでが“本物”なの?」

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「またこのパターンかも…」と、夜のベッドで天井を見つめながらため息をつく。
恋のはじまりはいつも、とびきりの高揚感に満ちていた。LINEが来るたびに胸が躍り、ちょっとした言葉に一喜一憂して。なのに、気づけばまた、同じような傷を抱えて終わっている。

私の“好き”って、いったい何なんだろう?
本当にその人が好きだったの?
それとも、ただ“恋してる自分”に酔っていただけ?

よく“本当の愛”とか“運命の人”なんて言葉を耳にするけれど、じゃあ本物の“好き”って、どう見分ければいいの?

何度も似た恋を繰り返し、そのたびに本気になって、でも結局うまくいかなくて。そんな恋愛のループの中で、私は少しずつ、自分の感情すら信じられなくなっていった。

たとえば、彼から連絡が来ないだけで不安になり、
「もう冷めたのかな?」と勝手に落ち込む。
それは彼への“好き”じゃなく、“安心感”が欲しいだけだったのかもしれない。

また、少し優しくされた瞬間に
「やっぱり彼は運命の人だった!」なんて盛り上がるのは、
私の中にある“物語を信じたい”気持ちが暴走していただけかもしれない。

この感情は本物? それとも自己投影?
私は“彼”を好きだったのか、それとも“好きでいたい自分”を手放せなかったのか。
そんな問いが、心の中で何度も反芻される。

恋に落ちると、私たちは時に「都合のいい解釈」をしがちだ。
彼が連絡をくれないのは仕事が忙しいから、
会いたいって言わないのは私に甘えてるだけ、
優しさが少ないのは照れ屋なだけ。

全部、私の“好き”を守るための言い訳だった。
つまり、私は彼に“好きになってほしい”自分を演じていたのだ。
好きだから尽くしていたというよりも、
尽くせば彼が私を好きになってくれると思っていた。

そう気づいたとき、自分の“好き”が、少し寂しく思えた。

そしてある日、友人にふと相談された。
「なんか…好きっていうより、やめられないだけかもしれないんだよね」

その言葉に、私は大きくうなずいていた。
そう、“好き”って、思っている以上に複雑で、
時に「執着」や「依存」や「孤独」すらも混ざっている。

それを“本物の愛”と勘違いしてしまうのは、
私たちが愛に夢を見ているからかもしれない。

じゃあ、“本物の好き”って何?
それはきっと、自分自身と向き合わない限り見つからない。
「どうしてその人を好きだと思ったのか」
「その人といるとき、私はどんな自分でいられるのか」

そうした問いに、ひとつひとつ答えていくことで、
やっと“本当の好き”にたどり着けるんだと思う。

誰かに夢中になっているとき、
その相手の目ばかりを見てしまうけれど、
本当に見つめるべきなのは、自分の感情の“根っこ”。

私はこの恋で、何を求めているの?
愛されたい? 認められたい? 寂しさを埋めたい?
それとも…その人と一緒に未来を築きたい?

その答えが明確になったとき、
“好き”という言葉は、もっと静かで、穏やかで、
でもずっと強い感情として胸に宿る気がする。

もし、今のあなたが
「好きってなんだろう」
「これは本物なのかな」
と立ち止まっているのなら、
その感情を疑ってみることは、悪いことじゃない。

“好き”という感情は疑わないもの、
そう思い込んできたけれど、
それを見つめ直すことこそが、恋愛の成熟なのかもしれない。

今日も、世界のどこかで誰かが恋に落ち、
そして、誰かが恋に迷っている。
そのすべてが正解でもあり、通過点でもある。

だから、私たちはまた恋をする。
そして、“本物の好き”に出会える日を、信じている。

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