──恋愛の正解は、アップデートされ続けている。
かつて“好き”とは、シンプルだった。
胸が高鳴る。会いたくてたまらない。手をつなぐだけで心がふわっと浮く。
「好きです。付き合ってください」なんて直球の告白に、ドラマチックなBGMが流れる。
そんな昭和ロマンス的恋愛感覚は、どうやら絶滅危惧種らしい。
令和の“好き”はもっと曖昧で、複雑で、ちょっとややこしい。
「付き合ってるわけじゃないけど、毎日LINEしてる彼がいる」
「好きだけど、彼女がいるってわかってる」
「会えば楽しいけど、将来は考えられないかも…」
そう、“好き”には温度差がある。しかもこの令和時代、そのグラデーションは無限。
いっそ“好き”の定義を明文化して、どこかに載せておいてくれたら助かるのに…と思ったことがあるのは、きっと私だけじゃないはず。
付き合う=恋愛、じゃない。
会ってるけど彼氏じゃない。
付き合ってるのに、なんか孤独。
──それって、何?
私たちは今、“関係性の肩書き”よりも、“感じている心地よさ”を優先している。
でもその一方で、“曖昧”の沼にはまって、何が本音か分からなくなることも。
そもそも“好き”って感情、なんて自由で気まぐれなのだろう。
「連絡が来ない」と不安になった次の日に、「やっぱり彼とは合わないかも」って突き放す。
「彼しかいない」と言いながら、別れた途端に、あっさり次の恋に落ちる。
…それって本当に“好き”だったのかしら?
昔は「付き合う=誠実な恋」だった。
今は「誠実さより、テンポの合う人」が選ばれがち。
恋愛も、進化してるのだ。
でも私は思う。
“好き”の定義が変わってもいい。むしろ、変わるのが自然。
恋の形も、恋人のスタイルも、時代とともに柔軟であってほしい。
ただし、ひとつだけ変えてはいけないものがある。
それは、“自分を大切にする気持ち”。
どんなに時代がアップデートされても、「私はこういう恋がしたい」という自分の理想を曲げてしまったら、それは“恋する価値”を見失う第一歩。
だから私は今日も、自分の“好き”の感覚を信じていたい。
それがたとえ、誰かにとって「めんどくさい」と思われてもいい。
“好き”という言葉の意味は、他人に決めさせない。
あなたの恋が、あなただけの正解になりますように。