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『バローロと、決別の夜に』

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――「今さら別れられるわけがない」
それを一番思っていたのは、他でもない私だった。


彼と出会ったのは28歳の冬。
職場での立場も安定しはじめて、結婚なんてまだ先でいい、と思っていた頃。

彼は10歳年上の経営者。
初めて一緒に行ったレストランで、赤ワインのボトルを注文する手つきが妙に色っぽくて、
私はすっかり恋に落ちた。

「結婚はもうしてる。でも、もう何年も家庭内別居だよ」
その言葉に、私は“いつか”を信じた。

最初は月に2回、やがて週に1度。
年を重ねるたびに、愛情というより習慣のように、彼と過ごす時間は続いた。


そして10年。

誕生日も、クリスマスも、記念日も――一度も一緒には過ごせなかった。
でもそれを寂しいと思わなくなっていた私は、もう“恋人”ではなく“都合のいい女”だったのかもしれない。

先月、彼の娘が結婚した。
「式には出るけど、すぐ戻るから」
そんなLINEを見たとき、私は思った。

――私たちは、きっと、永遠にこのままだ。


決別の夜に選んだのは、「Noir」のカウンター。
今夜だけは、何かにすがらずに、きっぱり終わらせたくて。

マスターに「強くて重いワインを」と伝えると、
彼は一瞬だけ私の目を見て、無言でボトルを差し出した。

🍷 バローロ/品種:ネッビオーロ/産地:イタリア・ピエモンテ州バローロ村
イタリアワインの“王様”と称される。
バラやスミレの香り、スモーキーなタバコ、レザー、スパイス。
力強く、タンニンが豊かで熟成に10年近くを要する“気高くも頑固なワイン”。

グラスから立ちのぼる香りは、まるであの人の存在のようだった。
威厳があって、忘れられない。
けれど、それに支配されていた自分にも、もう気づいている。


彼から、またLINEがきた。
「今週末、会える?」

私はグラスを見つめた。
このバローロみたいな人に、私は10年を捧げてしまったんだな。

でも――
バローロだって、時間をかければ角が取れ、丸くなる。
それでも、人は自分の“味”を変えられない。

私は彼に返信した。
「もう、会わないことにしたの」

そして、携帯の電源を落とした。


グラスの残りを飲み干した瞬間、
マスターが静かに言った。

「それは…少し遅れて咲いた女性のためのワインです」
「遅れて、ですか?」
「ええ。時間をかけてやっと、自分らしさに気づいた人が、最後に選ぶ一本です」

私は静かにうなずいた。
決して“無駄だった10年”なんかじゃない。

誰かのものだった彼を、
もう“自分の人生”からそっと降ろす覚悟ができた夜。

私はようやく、
恋人でも愛人でもない、“私だけの名前”を取り戻した。


あとがき:あなたに贈る、バローロの言葉

バローロは、すぐに飲めるワインじゃない。
渋くて、硬くて、閉じている。
でも、時間をかけて向き合えば、最も美しく変化する一本になる。

恋も、そうなのかもしれない。
苦くても、渋くても、
そこに“愛”があったなら、それは確かな時間だったと、私は信じたい。

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