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“好き”と“執着”の境界線がわからなくなる夜

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LINEが既読にならない。
インスタに新しいストーリーが上がっているのに、私への返信はまだない。
「どうして?」とスマホを握りしめる指に力が入るたび、私は“好き”をこじらせていく。

この胸のざわつきは、本当に“好き”だからなのか。
それとも、返してほしい言葉、期待していた態度、想像していた関係が手に入らない「執着」なのか。
境界線は、思っていた以上にぼやけていて、夜になるとますます見えなくなる。

彼の言動に一喜一憂し、
「なんでこうしてくれないの?」と小さなことで傷つく。
そして次第に、好きな気持ちよりも「わかってほしい」「振り向いてほしい」という感情が前に出てくる。

“好き”って、もっと自由で、もっと穏やかなものだったはずじゃない?

でも現実の恋は、どうしてこんなに苦しいのか。
彼のことで頭がいっぱいになって、
自分の予定より彼の予定が優先になって、
彼がくれた小さな優しさに浮かれて、すがってしまう自分が、
どんどん“私らしさ”から遠ざかっていく。

私が好きなのは、彼なのか、
彼に愛されることで満たされる「私」なのか。

そう思ったとき、ふいに怖くなる。
この恋が終わったら、私には何が残るんだろうって。

誰かを想う気持ちは、確かに美しい。
でも、相手が見えなくなって、自分の価値だけを確認したくなるような恋は、
もしかしたら“愛”じゃなくて、“執着”なのかもしれない。

人を好きになると、どうしても「選ばれたい」と思ってしまう。
でもそれが強くなりすぎると、「選ばれない私には価値がない」と思ってしまう。
その錯覚が、私たちを不安にさせて、依存させて、
やがて恋そのものを苦しくさせてしまう。

だから時々、自分に問いかけてみる。

彼といる私は、ちゃんと幸せ?
私は彼に「愛されてる」と思えてる?
それとも「愛されたい」と思い続けてるだけ?

恋愛って、本当はふたりで作るものなのに。
片方ばかりが努力したり、追いかけたりしていると、
それはもう“愛”の形をしていないのかもしれない。

恋は時に、試されているような感覚になる。
自分の価値を、相手の態度に委ねてしまうと、
恋は簡単に“執着”に姿を変えてしまう。

でも、好きな人の前でも「自分を大切にする」ことを忘れなければ、
少しずつその境界線も、見えてくるような気がする。

執着ではなく、愛でつながれる恋がしたい。
「選ばれること」でしか得られない幸せじゃなくて、
誰かと一緒にいる自分を、ちゃんと好きでいられる恋がしたい。

そう思いながら迎える朝は、
少しだけ心が軽くなっている。

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