恋愛において、私たちが一度は口にしたことがあるセリフのひとつ。
「理想の恋人が欲しい。」
私たちの頭の中には、理想の恋人像がくっきりと描かれている。
身長、顔立ち、性格、趣味…細かいところまで完璧に設計された、まさに理想的なパートナーが想像できる。
でも、その理想がどこかで足枷になっていることに、私たちは気づいているだろうか?
完璧な恋人を求めるあまり、現実を見失ってしまうことがある。
理想にぴったり当てはまる人なんて、果たして本当に存在するのか?
そして、その“完璧さ”が果たして私たちにとって、本当に必要なものなのか。
完璧な恋人像を描くことが、恋愛をしている私たちにとって、ある種の“保険”になっていることもある。
理想の相手を求めることは、失敗したくない、傷つきたくないという気持ちから来ている。
でも、完璧な恋人を求めすぎると、次第に「完璧でない相手」が見えてきたときに、
「なんだか違うかも」「理想と違う」と感じてしまう。
その時点で、私たちの心はすでに“完璧”というフィルターを通して相手を見ている。
まるで、レンズ越しに見た風景のように、現実の良さがぼやけてしまっている。
それに、完璧な恋人を追い求めることで、逆に私たち自身もどこかで不安になっている。
「本当にこんな人が現れるのか?」と悩みながら、心の中で少しずつ相手に対して期待しすぎている自分がいる。
理想の相手と現実の相手が違うと、どうしても「理想を追い求める方が楽しい」と感じてしまう。
でも、完璧な恋人なんて、果たして本当に理想通りに存在するものなのだろうか?
完璧な恋人を求める気持ちが強すぎると、本当の意味でのパートナーシップが築けないことがある。
理想を追い求めることも大事だけれど、完璧を求めすぎるあまり、
“今目の前にいる人との現実を楽しむこと”ができていない自分に気づく瞬間がある。
例えば、最初は彼のちょっとした不完璧なところが気になって、
「うーん、理想の人ってこうじゃないんだよな」と思っていたけれど、
時間が経つうちに「でも、こういうところが素敵だな」と感じるようになったり。
完璧じゃないからこそ、彼の人間らしさが見えてくるものだと気づく。
人間って、不完全だからこそ愛おしいという事実に、だんだんと心が開かれていく。
完璧を求めることは、決して悪いことではない。
理想の恋人像を持つことは、私たちが求める恋愛に対する目標でもあるし、それがあるからこそ自分の基準が見えてくる。
でも、その基準に縛られすぎると、実際に目の前に現れた相手の良さに気づけなくなる。
完璧じゃないからこそ、彼の中に隠されたユニークさや愛おしさに気づける。
そして、それが本当に大切な部分で、心から愛すべきところなのかもしれない。
だからこそ、完璧を追い求めることを一度放棄してみるのも、恋愛におけるひとつの選択肢だと思う。
理想と現実、どちらが良いというわけでもないけれど、
“完璧な恋人”を求めすぎるあまり、目の前の素敵な瞬間を見逃さないようにしたい。
完璧な恋愛よりも、“今の私たち”を楽しむことが、もっと大事なのかもしれない。