朝、目が覚めて最初に確認するのは彼の顔じゃなくて、スマホの通知。
“LINE 1件”の文字にドキッとして、
開けたら会社の連絡だったときのあの虚無感って、
何に例えたらいいのかしら。
私たちはいま、愛も温度も、
既読・未読・スタンプで測られてしまう時代に生きている。
彼が「今日はバタバタしてる」って言った夜。
インスタのストーリーではラーメンの写真が上がってる。
そのラーメンの隣に写ってる誰かの腕が、やけに細くて、女っぽく見える。
もう、この時点でスープより心が冷めている。
昭和の恋愛は、会えなければ“会えない”で済んだのに、
令和の恋愛は、“会えないのに、SNSでは存在してる”のがつらい。
それでも私たちは、恋をする。
わざわざバッテリーを20%切らしてまで、
どうでもいい雑談を続けるような人に、心を預けたりする。
返信が早すぎても遅すぎても、
「この人、ちょっと変かも」って思ってしまう私は、
もはや“通信速度”で恋の価値をはかっているのかもしれない。
だけど、ふと思うの。
本当に好きな人って、通知がなくても安心できる人じゃなかったっけ?
スマホを握りしめる時間より、
素の自分で笑える時間が多い恋。
そういう恋の方が、私の肌には合ってるんじゃないかって。
恋愛アドバイザーのようなアプリはたくさんあるけど、
本当に必要なのは、「好きだけど、疲れない」相手かもしれない。
だから私は、画面越しの既読スピードよりも、
会ったときの“まばたきの速度”の方を信じたい。
目を見て、照れたように笑うその表情に、
「この人、ちゃんと私と向き合ってる」って思えたなら、
通知なんて、もういらない。
それが今の私の恋の物差し。
ちょっと時代遅れ? でも、
愛って結局、電波じゃなくて“空気”で感じるものだから。
今日もまた通知を無視して、
私はスマホを伏せてカフェラテを飲む。
本当に連絡がほしい相手は、たいていその時には何も言ってこない。
でも、ふとしたタイミングで鳴るLINEの「ピコンッ」に、
私はまだちょっとだけ期待している。