──「なぜ結婚しないの?」って聞かれるけど、それ、定食にサラダが付いてる前提みたいなものでしょ?
30代を過ぎたころから、飲み会や親戚の集まりのBGMは、
「で、結婚の予定は?」に変わった。
もはやそのフレーズは、天気の話題より高確率で飛んでくる。
でも、正直に言うと——
私は「結婚しない」という選択をした。
それは何かに傷ついたからでも、相手がいないからでもない。
ただ、今の自分にとって“結婚”という制度が最適とは思えなかったからだ。
それを言うと、大体こう返ってくる。
「えっ、でもいつかしたくなるかもよ?」
「ずっと一人でいるの?」
「老後どうするの?」
なんでみんな、未来のことをそんなに不安ベースで語るんだろう。
私が選んだのは“孤独”じゃない。
“自由”だ。
休日の予定を誰にも確認せずに決められる自由。
家でパンツ一丁でポテチを食べても誰にも文句を言われない自由。
仕事に没頭したいときに、誰かの「寂しい」も背負わずにいられる自由。
でも、その自由には時々、静かな不安が忍び込む。
例えば、病院の待合室でひとりぽつんと座っているとき、
旅行先でペア席しかないレストランに通されたとき、
SNSで友達の「旦那と記念日ディナー♡」の投稿を見たとき。
自由は気ままで気持ちいいけど、
ときどき、風が強すぎる夜もある。
そして、そんな私の選択に、世間は妙に興味津々だ。
まるで「“普通”から外れた女」を観察するように、
「それって寂しくないの?」とか「こじらせてない?」とか、
本人が気づいてないと思ってる風を装って、好奇心むき出しで聞いてくる。
でもね、私が欲しいのは「理解」じゃない。
ただ、「選べる社会」だ。
結婚する人生も素敵。
でも結婚しない人生だって、同じくらい素敵であってほしい。
それぞれの幸せの形が“等しく認められる世界”が、
私たちが目指したいゴールじゃないかしら。
たとえば、今日の夜はひとりで赤ワインを飲みながら、
Netflixで恋愛ドラマの続きを観る予定。
泣いて笑って、明日にはまた自分のペースで歩き出す。
そんな何気ない日常に、私はちゃんと幸せを見つけている。