──私は宝石じゃない。そもそも「磨く」前に、もう輝いてる。
“自分磨き”。
この言葉を最初に耳にしたのはたしか、大学時代だった。
就活セミナーの講師が言っていたのか、合コン帰りの友達だったのか。
とにかく、「女は常にアップデートすべし」的な風潮に、私は早々に洗礼を受けた。
それ以来、私たちはあらゆる場所で「磨かれろ」と言われ続けてきた。
メイク講座、資格取得、副業チャレンジ、腸活、美ボディ、読書習慣…
気がつけば、休日も“努力のスケジュール”でびっしり。
もちろん、それ自体が悪いわけじゃない。
自分を高める努力は素敵だし、
夢中になれるものに出会えたときの充実感は格別だ。
でも、たまに思うのだ。
私はいったい、何のために、誰のために、こんなにも“磨かれて”いるの?
たとえば、「いつか素敵な人に出会うために自分磨きしてる」と言っていた友人がいた。
でもその“素敵な人”って、本当に“磨かれた私”じゃなきゃ、振り向かないの?
そんな条件付きの恋、ほんとに欲しい?
そして何より、
疲れてソファに沈み込む夜、
ノーメイク、パジャマ、冷凍パスタの私を見て、
「このままで十分じゃん」って、
自分に言ってあげられないと、
どこまで行っても、終わらないレースに走らされ続けてしまう気がする。
“自分磨き”が義務になる瞬間、それはもう「自分のため」じゃない。
それより、もっと大切なのは、
「今日は磨かなくてもいい」と言える余裕や優しさかもしれない。
私たちは宝石じゃない。
曇ってても、埃かぶってても、
ちゃんとそこに“価値”がある。
誰にも見せる予定のないネイルを塗る日も、
すっぴんでおにぎりかじる日も、
本を読まずにYouTubeで笑って過ごす夜も、
それ全部が“私という人間”を育てている。
今夜、鏡の前で深呼吸して、
「よくやってるよ、今日の私」とつぶやいてみて。
磨くことより、認めること。
それができたら、もうあなたは十分“輝いてる”のだから。