1章:誰しも経験ある“いい人止まり”の恋愛
「彼、いい人なんだけどね」 このセリフ、何度口にしただろう。 友達とランチ中に、紹介された男性について話しているとき。 マッチングアプリで出会った人とのやりとりを報告しているとき。 あるいは、気になる人の話をされたときに、ちょっと申し訳なさそうに。
彼は優しい。真面目。安定した仕事もあるし、礼儀正しくて、食べ方もきれい。 でも、なぜか恋に落ちない。心が“うん”って言わない。
そんなとき、私の脳内には赤い文字でこう表示される。
──“いい人止まり”です。
「理想の相手」像に当てはまるのに、なぜか恋愛感情が芽生えない。 好きになれたら幸せになれそうな人なのに、どうして?
これは私だけじゃなく、多くの女性が感じたことがあるモヤモヤじゃないだろうか。
ドラマのようなドキドキ感もないし、駆け引きのスリルもない。 だけど、優しくて誠実で安心感がある。
つまり、心地よすぎて“恋”にならない。
でも、そんな理由で切り捨てるのって、すごく自分勝手で贅沢に感じる。 「好きじゃない理由がわからない」なんて、なんだか失礼だし、申し訳ない。 それでも、どうしても心が動かないのはなぜなのだろう?
2章:“いい人”と“好きな人”の間にある決定的な差
“いい人”と“好きな人”は、似て非なる存在だ。
その違いって、結局「ときめき」があるかどうかだと思う。
たとえば、LINEが来たときにドキッとするか。 会話中に思わず笑ってしまうような不意打ちのユーモアがあるか。 言葉ではうまく説明できない、でも身体が、心が、何かに反応する──そんな瞬間があるか。
いい人には、安心感がある。 でも、恋に必要なのは“安心感”だけじゃない。 緊張感や高揚感、非日常性…… 言い換えれば、ちょっとした“不安”があるからこそ、恋は燃えるのだ。
「好きって、苦しいものなんだね」なんてセリフをよく聞くけれど、 まさにその“苦しさ”の正体こそが、ときめきだったりする。
皮肉だけど、 完璧で安定していて、何のストレスもない相手よりも、 ちょっと気まぐれで、不安定で、追いかけたくなるような人のほうが、 恋愛対象になってしまうのは、もしかしたら本能なのかもしれない。
3章:どうして私たちは“悪い男”に惹かれてしまうのか
「どうせまた、ダメ男に引っかかってるんでしょ?」
友達に言われて、ぐうの音も出なかった。
思い返せば、私が“夢中になった”恋の多くは、 ちょっとワガママだったり、連絡がマメじゃなかったり、 最初は優しくて惹かれたのに、付き合ったら途端に冷たくなったり……
なぜかそういう「ちょっとダメ」な男性ばかりだった。
でも、彼らには不思議な魅力がある。 ドキドキさせる言葉の選び方。 時折見せる優しさがレア感満載で、こっちが勝手に“特別扱い”だと感じてしまう。
まるでガチャのSSR演出のような、ときどき現れる“神対応”。 その1回の神対応が忘れられなくて、延々と回し続けてしまうのだ。
そんな“刺激”に慣れてしまうと、 優しくてマメで、安定して愛してくれる“いい人”が、 なぜか物足りなく感じてしまう。
それって、相手が悪いんじゃなくて、自分の恋愛観が麻痺してるだけなのかもしれない。
4章:“いい人”に心が動かない理由、私が見つけた本音
ある日、ふと気づいた。 私は「愛されること」には慣れてきたけど、 「夢中になること」には、どこか恐れがある。
恋に落ちるって、ある意味、自分を手放すことでもある。 理性やプライド、計算や余裕。 それらをかなぐり捨てて、相手に心を預ける勇気が必要だ。
でも、“いい人”は私にとって安全地帯すぎて、 心を預けるスイッチが入らない。
「いい人止まり」になる男性に、本当は何の問題もない。 問題は、私の中にある。
“心地よい”と“ときめき”の違い。 “安定”と“夢中”のどちらを今の自分が求めているのか。
恋愛は、いつだって自分の状態を映す鏡なのだ。
5章:これからの恋は、“いい人”の定義をアップデートしたい
じゃあ、“いい人”じゃダメなのか? いや、そんなことはない。 むしろ、“いい人”は最強だ。
でも、「いい人=退屈」みたいな偏見があるのも確か。
私たちが求めているのは、 「ときめくいい人」なのだ。
刺激的で、でも安定していて、 優しくて、でもユーモアがあって、 包み込んでくれるけど、ちゃんと主張もある──
そんな“ハイブリッド男子”なんて幻想かもしれないけど、 それを諦めてしまったら、恋の楽しさも半減してしまう。
もしかしたら、今まですぐに「いい人止まり」と判断していた中に、 “ときめく可能性”の種があったかもしれない。
そう思えるようになったのは、 恋愛にちょっと疲れて、落ち着いて自分を見つめ直すことができた今だからかもしれない。
“いい人”を選べない自分に、ずっとモヤモヤしていたけれど、 それすらも、恋愛の通過点だったんだ。
これからは、「いい人」にときめく自分を、 少しずつ育てていけたらいいなと思う。
卒業するのは、“いい人止まり”じゃない。 “ときめきを諦めた私”なのかもしれない。