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「元カレのSNSは、やっぱり魔物だと思う夜」

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1章:元カレのアイコンを、うっかりタップしてしまう夜

土曜の夜。
コンビニ帰り、メイクも落とし、部屋着にくるまりながらソファでスマホをポチポチ。
目的もなく開いたInstagram。
「ストーリーズ」の一番左に見覚えのあるアイコンがあった。

──元カレだ。

わかってる。見ちゃダメだって。
でも指が勝手に動くの。そう、“あの頃の私”がまだいるから。

開いた瞬間、現れたのは、女の子の後ろ姿と「#彼女の手料理」タグ。
その横に「美味しかった」「いつもありがとう」の文字。
おいおい、リアルか。いや、現実か。

そのままスマホを投げ出して天井を見つめた私。
さっきまで平和だった土曜の夜が、いきなり情緒崩壊スペシャル。

元カレのSNSは、やっぱり魔物だ。
なんならホラー映画より怖い。あの人の“幸せそうな日常”という名の破壊兵器。


2章:「未練はない」は、幻想だと思い知らされる瞬間

私、別に未練があるわけじゃなかった。
そもそも振ったのは私だし、最後はお互い納得して終わった。
…と、思っていた。

でもSNSで“今”を目の当たりにすると、話は変わる。
私が知らない場所で、私じゃない誰かと、
私の知らない笑顔をしている彼を見ると、胸の奥がチクリと痛む。

それって、未練というより“置いてけぼり感”なのかもしれない。

たとえば、ふたりで見ていたドラマがまだ続いていて、
ある日突然、彼だけが新しい登場人物と続きを見ていたような。
私だけ第1シーズンでストップしているような。

それは嫉妬でも、復縁したいわけでもなく、
ただ単に、「私は何だったんだろう?」という一抹の寂しさ。

元カレの幸せを心から祝える女になるには、どうすればいいんだろう。


3章:「私より幸せにならないで」症候群

たとえば高校の同級生。
普段まったく気にしてなかったのに、結婚報告を見た瞬間「先越された感」にモヤる。
あの感情にちょっと似てる。

元カレが幸せになってると、なぜか自分が取り残されたような気持ちになる。
それは「比べるつもりはない」と思っていても、心のどこかで
“勝ち負け”みたいな感覚が生まれてしまうから。

とくに相手がすぐに次の恋に進んでいたり、
その相手が自分とまったく違うタイプだったりすると、
自尊心が揺らぐ。比べたくなくても比べてしまう。

「私って、そんなにすぐ忘れられる存在だった?」
「もしかして、私って代替可能だった?」

そして、そんな自分を「小さいな」って思うけど、止められない。

「私より幸せにならないで」症候群。
きっと多くの人が一度は感染する、治らない小さな病。


4章:SNS時代の恋は“記憶”がデータ化されすぎる

昔の失恋は、時間とともに風化した。
思い出の写真はアルバムの奥にしまいこみ、
連絡先も携帯の機種変更で自然と消えていく。

でも今の恋愛は、クラウドに保存されてしまう

元カレの笑顔、元カノとの思い出、共通のタグ、#記念日ディナー。
アルゴリズムは無情で、こっちの感情なんてお構いなしに「オススメ」してくる。

もう終わったはずの恋が、アーカイブ化されて、いつでも再生可能。
思い出が「思い出」じゃなくなる。
“今ここ”に引っ張り戻される危険な扉。

だからこそ、SNSって魔物なんだ。

記憶を美化してしまう私の心と、
現実を突きつけてくる彼のストーリー。
そのギャップが、心に傷をつけていく。


5章:「見ない強さ」と「忘れる優しさ」

元カレのSNSを見てしまう夜って、たいてい寂しい夜だ。
なんでもない日常に、小さな穴が空いたような気がして、
そこを埋めるように、過去をのぞきたくなる。

でも、その行動が自分を一番傷つけると、私はもう知ってる。

「見ない」という選択は、自分を守る手段だ。
そして、「もう見たいとも思わない」日が来たとき、
ようやく本当に、あの恋が終わるのかもしれない。

恋が終わるときって、別れた瞬間じゃなくて、
その人のことを考える時間がゼロになったときなのだ。

見たくないんじゃない。
見たら、また“あの頃”の私に戻ってしまうから。
立ち止まってしまうから。

「忘れる」って冷たいようでいて、
実は一番あたたかい自己愛かもしれない。


エピローグ:私は私の“今”を生きる

ベッドにスマホを伏せて、深呼吸。
画面の向こうにいる彼の“今”に、もう私の席はない。

でもそれは、悲しいことじゃない。
彼には彼の今があって、私には私の今がある。
ただそれだけのこと。

元カレのSNSは、やっぱり魔物だけど、
それを“魔物”にしていたのは、私の心だったのかもしれない。

画面を閉じて、電気を消して、布団に潜り込む。
そして心の中で、小さくつぶやく。

「私、ちゃんと前を向いてるよ」

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