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「“好きになられる”より“好きになりたい”と思ってしまう私」

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1章:好かれることに、なぜか息苦しさを感じてしまう

「○○ちゃんのこと、すごくいいなって思ってる」
そう言われるたび、胸がざわついた。
嬉しいはずなのに、心が追いつかない。
頭では「こんなに好いてくれる人、貴重だよ」とわかってるのに、なぜか逃げ出したくなる。

それは、相手の気持ちが重いからじゃない。
私に“好き”の気持ちがまだ育っていないからだ。

世の中では、「愛されるほうが幸せになれる」とよく言う。
だけど私は、どこかで“自分が好きになった人とじゃないと燃えない”と感じていた。

まるで、自分の気持ちに火がつかない限り、始まらない恋。
それって、恋愛下手なのかな? わがままなのかな?
いや、たぶん私は「追いたい女」なんだと思う。


2章:「条件は完璧なのに、なぜか好きになれない」

優しくて、誠実で、年収も安定、趣味も合う。
周りから見たら完璧な彼。
「もうこの人と付き合えばいいじゃん」と言われても、
なぜか“ときめき”のスイッチが入らない。

悪いところはひとつもないのに。
むしろ好かれてることが伝わってくるたびに、「私は本当に応えられるのかな」と不安になる。

相手に好かれているという状況は、安心できる。
でも、安心がときめきに変わるかと言われたら、
そうじゃないのが、恋の難しさなのかもしれない。

私が欲しいのは、安心より、情熱だった。
穏やかな恋より、ちょっと不安定でもドキドキする関係。
…それって、間違ってるんだろうか。


3章:好きになる瞬間の“スパーク”を信じたい

「この人かも」と思う瞬間って、ほんの一瞬で決まる気がする。
たとえば、飲み会でふと視線が合ったとき、
一緒に笑ったタイミングがかぶったとき、
相手のしぐさに何か懐かしさを感じたとき。

好きになる瞬間って、説明がつかない。
むしろ、理屈で好きになれるなら、こんなに恋は面倒くさくないはずだ。

「なんであんな人を好きになったんだろう?」と後で振り返っても、
きっとその時の自分には、理由なんていらなかった。

私は、“好かれる恋”より“好きになる恋”の火花を信じてる。
たとえ、少し報われにくい道だったとしても。


4章:追う恋は、なぜこんなに苦しいのにやめられない?

好きな人の言動に一喜一憂して、
返信が遅いとそわそわして、
会えない日が続くと不安になる。

これが“追う恋”の現実。
恋をしているはずなのに、むしろ心は忙しくて疲れてしまう。

だけど、この“追ってる感覚”が私を生き生きさせるのも事実だった。
会いたいからオシャレを頑張るし、
好かれたいから自分磨きに気合が入る。
恋が、私にとって一種のエネルギーになる。

もちろん、愛されて安心できる関係も素敵だ。
でも、追いかける恋には、自分の中の“情熱”を呼び起こしてくれる魅力がある。

私にとって恋は、安心ではなく、覚醒なのかもしれない。


5章:愛される幸せと、愛したい欲求の間で

「あなたを好きでいてくれる人を大事にしなよ」
何度このアドバイスをもらっただろう。
きっと正論なんだと思う。

でも、私はいつも“誰かに好かれる安心感”より、
“自分から好きになれる興奮”を選んでしまう。
そのたびに、傷つくリスクも増えるけれど、
それでも私は、その感情が欲しい。

もしかしたら、いつか「愛されることの安定感」を心から欲する日が来るかもしれない。
でも今はまだ、私は私の中の“ときめきを信じたい”。

誰かを好きになることで、少し無理をして、少し変わっていく自分が、嫌いじゃないから。


エピローグ:好きになる力があるかぎり、私は恋をする

「追う恋は報われないよ」
「追わせなきゃダメだよ」

そう言われても、私はきっとまた、好きになった人に突っ走ってしまう。
それが私の恋のスタイル。
たとえ失敗したって、傷ついたって、
“好きになれる誰かに出会えたこと”そのものが奇跡だから。

愛されることも、愛することも、どちらも幸せ。
でもその順番は、人それぞれでいい。

私は、今日も自分の心の声に正直でいたい。
“好きになられる”より、“好きになりたい”と思ってしまう私。
それでいい。
だって、そのほうがずっと、自分らしいから。

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