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「“幸せになりたい”が、“疲れる”に変わる日がくるなんて」

恋愛コラム 恋愛

1章:「幸せになりたい」は、恋愛の出発点だった

「幸せになりたい」
そう願うことが、恋愛の始まりだった。

好きな人と手をつないで歩くこと。
LINEの返信が早いこと。
デートでちゃんとプランを考えてくれること。
「大切にされてる」と思える瞬間を、私は“幸せ”と呼んでいた。

誰かと出会って、付き合って、愛されて、愛して。
それが、当然のように“幸せになる道”だと信じて疑わなかった。

でも、ある日ふと気づいた。
「…なんか、疲れてるな」って。

好きな人に振り回されて、気を遣って、
連絡がこないだけで落ち込んで。
「幸せになりたい」って、こんなにしんどいことだった?


2章:努力する恋は、もう“修行”に近い

彼からの返信が遅いだけで、心がそわそわする。
既読スルーされた夜は、スマホを握りしめたまま眠れない。
「もしかして私、好かれてない?」と不安になり、
自分磨きという名のプレッシャーを自分に課していた。

髪の毛、肌、体型、メイク、LINEの文面。
“どうしたら好かれるか”ばかり考えて、
気づけば自分のことを置き去りにしていた。

「幸せになりたい」はずが、
気づけば、**“がんばらないと得られない状態”**に変わっていた。

それって、なんか違う。
恋愛って、こんなに努力が必要な“修行”だった?


3章:SNSの「幸せな恋」が、無言のプレッシャーになる

SNSを開けば、幸せそうなカップルがずらり。
記念日ディナー、ペアリング、旅行の写真。
「#幸せな日々」「#彼が神対応すぎた」
……なんか、もうお腹いっぱい。

誰かの幸せは本来、比べるものじゃないはずなのに。
でも見れば見るほど、自分の恋愛の“物足りなさ”に目がいってしまう。

「うちの彼、こんなにマメじゃないな」
「私たち、こんなオシャレなデートしてないな」

恋愛は“評価されるもの”じゃないのに、
“魅せる恋”にばかり心が引っ張られていた。

気づけば、“幸せになる”はずだった恋が、
“幸せっぽく見せる”ことにすり替わっていた。


4章:「幸せになりたい」は、もっと静かでシンプルなものだった

ある日、ふと立ち寄った本屋で、
お気に入りのエッセイ本を見つけた。
カフェでひとり、その本をめくりながら飲むカフェラテの味に、
なぜか涙が出そうになった。

ああ、こういう瞬間を“幸せ”って言うんだ。

誰かの肩に寄りかかることだけじゃなくて、
“自分が自分を心地よく扱えている”と感じられる瞬間。
それが、本当の幸せなんじゃないかと、思いはじめた。

恋をしていなくても。
誰かに愛されていなくても。
私は、私の心をあたためる方法を知っている。

“幸せになりたい”って、もっと静かで、やさしくて、
誰かに承認されなくてもいいものだった。


5章:「幸せ」は、目的じゃなく、日々の選択の積み重ね

今の私は、「幸せになりたい」とは言わない。
代わりに、「今日を心地よく過ごしたい」と思ってる。

おいしいものを食べて、深呼吸をして、
話しててホッとする友達と過ごして、
鏡を見たときに「よく眠れた顔してるな」って思える日。

そんな一日を重ねることが、
じんわりと自分を幸せにしてくれている。

誰かに依存した“幸せ像”を手放すと、
恋愛はもっと自由で、自分らしくなる。

「彼にもっと連絡してほしい」
「ちゃんと将来の話をしてくれない」
そんな“不足”を数えるのではなく、
“満ちている今”を感じられるようになった。


エピローグ:「疲れる恋」は、もうしなくていい

“幸せになりたい”という言葉は、たしかに素敵だ。
でも、がんばって、頑張って、ボロボロになるような恋なら、
それはきっと、自分を幸せにする恋じゃない。

「恋愛って、楽しいだけじゃないんだよ」
そんな現実はわかってる。
でも、“苦しさの先にしか幸せがない”という思い込みは、
そろそろ手放してもいいかもしれない。

私たちは、誰かと一緒じゃなくても、
日々の中で“自分を幸せにする力”を持っている。

恋愛が“疲れる”と感じたときは、
それは「自分の幸せの形を見直すタイミング」なのかもしれない。

そして今、私は少しずつ知っている。
“幸せになりたい”は、他人との物語じゃなく、
私と私の対話の中にあるものなんだと。

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