1章:恋をしてる“気がする”と、本当に恋してるの違い
「この人、いいかも」
出会ってすぐにそう思うことは、何度もあった。
優しくて、ノリも合って、見た目もそこそこタイプ。
デートの帰り道はたいてい、LINEの返信が待ち遠しい。
でも…一晩寝て冷静になると、
「あれ?私って本当にこの人が好きなんだっけ」
そんな違和感がこっそりやってくる。
“好きになろうとしてる”のか、
“自然と惹かれてる”のか。
この違いって、大人になるほど見えづらくなる気がする。
「好きって何?」なんて今さら聞けないけど、
それでもふとしたときに思う。
“本当に好きな人”って、人生に何人いるんだろう?
2章:「本気で好きな人」は、いくつになっても忘れられない
私はこれまで何度か、本当に人を好きになったと思ってる。
それは、記憶の中で色あせない存在。
恋が終わっても、その人の声や笑い方、
季節ごとの思い出がふいに蘇る。
あの頃の私は、もっと不器用だったし、
ちゃんと気持ちを伝えられなかった。
でも、確かに“心から好きだった”。
そして、その人と比べてしまうからこそ、
新しい恋にスッと入りこめないこともある。
「この人のこと、ちゃんと好きになれるかな」って
どこかで自分に問い続けてしまう。
「忘れられない人」がいるからこそ、
次の「本当に好きな人」へのハードルも上がるのかもしれない。
3章:好意と執着を、恋と勘違いしていたあの頃
恋って、“好きな気持ち”だけじゃない。
ときに、それはただの執着だったり、
承認欲求だったり、寂しさの埋め合わせだったりする。
「追いかけてるときは好きだったけど、
手に入ったら急に冷めた」なんて経験、
誰にでも一度はあるんじゃないだろうか。
あれって、恋じゃなくて、勝ち負けだったのかも。
もしくは「この人に好かれる自分」が欲しかっただけ。
本当に好きな人って、
“自分がどう見られるか”よりも、
“この人を大切にしたい”という気持ちが自然に湧いてくる。
本当の恋は、コントロールできない。
だからこそ、出会えたときの感動は、特別なんだ。
4章:年齢とともに、“好き”の基準も変わっていく
10代、20代の頃は、“刺激”が恋の主成分だった。
ドキドキ、キュン、駆け引き、すれ違い…
むしろちょっと不安定な関係のほうが燃えたりした。
でも、30代になってふと気づく。
「安心して素でいられる人って、すごく大事だな」って。
好きの基準が、“トキメキ”から“信頼”にシフトしていく。
それは、ドキドキが消えたわけじゃない。
むしろ、穏やかで確かな“好き”が、心を満たすようになった。
本当に好きな人って、
「会いたい」よりも「話したい」と思える人かもしれない。
一緒にいると、自分が落ち着く。
そんな関係が、今の私にはとても尊い。
5章:「この人だ」と思えた瞬間、それは小さな奇跡かもしれない
何人もの人と出会って、
「いい人だな」と思える人もたくさんいて、
でも、“本当に好き”と言える人って、やっぱり限られている。
それって、確率の問題じゃない気がする。
むしろ“タイミング”と“感覚”の絶妙な交差点に、
その人はふっと現れる。
共通点が多いとか、価値観が似ているとか、
そういうのももちろん大事。
だけど結局は、“理屈じゃない”んだと思う。
本当に好きな人に出会えるって、
日常の中のちょっとした奇跡。
その奇跡が起こったとき、
私はちゃんと気づけるだろうか。
そして、ちゃんとその人を大切にできる自分でいられるだろうか。
エピローグ:本当に好きな人に、また出会えると信じてる
いま、私の隣に“本当に好きな人”はいない。
でも、それが悲しいわけじゃない。
だって、私は知っている。
人生には、忘れられない誰かがいて、
それでも、また好きになれる人に出会えることも。
“本当に好きな人”に出会う数が多いか少ないかより、
その人とちゃんと向き合えたかが大切。
だから、今日も私は心を柔らかくして生きている。
誰かと出会ったとき、「この人かも」と思えるように。
過去の誰かを基準にしすぎず、
“今”の気持ちを大切にするために。
そして、次に“本当に好きな人”に出会えたときには、
私はもっと私らしく、笑っていられる気がしてる。