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「“結婚=幸せ”を疑いはじめた日」

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1章:「結婚って、いいよね?」の圧にうっすら疲れていた

「彼氏できたの?」「次は結婚だね〜」
親戚の集まり、昔の友人との再会、会社の飲み会。
どこに行ってもこの質問、もはや恒例行事。

最初のうちは、軽く流せていた。
「まだまだ遊びたいので〜」とか、「タイミングがあれば!」とか。
でも、30を過ぎたあたりから、笑顔の下に小さな疲労がたまっていった。

“結婚=幸せ”という前提で投げかけられる無数の言葉たち。
「なぜ結婚していないのか?」ではなく、
「なぜ結婚することが当然なのか?」を問いたいのに。

この世界はどうして、未婚女性の幸せを“未完成”とみなすのだろう。


2章:「結婚しないの?」という質問が、もう時代遅れに思えてきた

結婚している=正解
結婚していない=まだ途中

この二元論、そろそろアップデートしませんか?

もちろん、愛する人と人生を歩むって素敵なこと。
でも、だからといって「結婚」という形にこだわるのって、
もしかしたら、もっと自由な“つながり方”を狭めているのかもしれない。

パートナーと一緒に住まない選択、
籍を入れずに子育てをする選択、
恋人を持たずに自分を大切に生きる選択。

“結婚しないの?”じゃなくて、
“どんなふうに幸せを感じてるの?”と聞いてくれる社会になってほしい。


3章:結婚してる=幸せそう、ではない現実

周りの既婚者たちを見て、正直思う。
「うらやましい」と「大変そう」が、半々だったりする。

一緒に住み始めたら生活スタイルの違いで喧嘩。
子どもが生まれたら夫婦の会話が激減。
夫婦カウンセリングに通ってるって打ち明けられて、言葉を失った夜。

もちろん、それでも“続けていく覚悟”があるからこその結婚だし、
苦しさの先に愛がある関係もたくさん知ってる。
でも、“幸せそう”という外見と、
“実際のリアル”は別ものなんだと痛感する。

結婚=ゴールじゃない。
むしろ、スタート地点に立つだけで、
そこからが長くて複雑なマラソンなのかもしれない。


4章:「ひとりが寂しい」は、“誰かがいれば埋まる”ものじゃない

「一生独身かもって考えたことある?」
ある日、友人にそう聞かれたとき、私は素直に「ある」と答えた。
だって実際、ひとりで過ごす時間がどんどん心地よくなっているから。

誰にも干渉されずに好きなものを食べて、
夜中まで本を読んで、朝は気ままに散歩して。
そんな小さな自由が、“自分の人生を生きている”と感じさせてくれる。

もちろん、たまに誰かと過ごしたくなる夜もある。
でも、その寂しさって、「誰かと一緒なら解消する」ものでもない。

むしろ、“本当の孤独”って、
一緒にいても心が通わない関係の中にある。


5章:「結婚したい」は、目的じゃなく、手段であってほしい

気づいたのは、“結婚したい”という気持ちの中には、
時に“安心が欲しい”という願いが混ざっているということ。

老後が不安、将来が不安、病気になったときどうしよう…
それを“誰かがいてくれること”で埋めようとするのは自然なこと。
でも、“結婚”がその全ての保証になるわけじゃない。

むしろ、“ひとりでも幸せに生きる力”を持った上で、
「一緒に生きたい」と思える誰かに出会えたら、
それはもう奇跡みたいに尊いこと。

結婚は「幸せになるための必須条件」じゃなく、
「幸せな時間を誰かと育てていくための手段」であってほしい。


エピローグ:私の幸せは、私の基準でいい

“結婚=幸せ”という公式に疑問を持ち始めたとき、
ちょっとだけ肩の力が抜けた気がした。
周りの視線に、勝手に自分を縛りつけていたのは他でもない、自分だったのかもしれない。

結婚してても、してなくても、
誰かと一緒でも、一人でも、
私が「これで幸せ」と思えたら、それで十分じゃない?

もちろん、これから「結婚したい」と思う瞬間が来るかもしれない。
だけど、それが“焦り”からじゃなく、
“心からの希望”として湧いてくるものであってほしい。

幸せは、誰かに定義されるものじゃない。
私の幸せは、私の歩き方でつくっていくもの。
そう思えるようになった私は、
きっと今日も、幸せに近づいている。

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