たとえば、夜中に突然LINEが来る。
「今から会える?」って、絵文字ひとつない素っ気ないメッセージ。
疲れているはずなのに、私はパジャマのままメイクをし直して、
深夜の街に出ていく。
翌朝、目が覚めると彼はもういなくて、
「またね」とも「ありがとう」とも言われないまま、
空っぽのベッドと自分の虚しさだけが残ってる。
“都合のいい女”って、きっとこういうことなんだろうなって、
わかってるのにやめられない。
だって、その瞬間だけでも、
「必要とされた」気がするから。
一緒にいる時間だけは、
「彼にとって特別な存在なんじゃないか」って錯覚できるから。
でも、それって本当に“特別”なのかな?
気づけば、彼の予定に合わせて自分を調整して、
こっちの気持ちは聞かれもしないまま、
「察して」「合わせて」「黙って我慢して」ばかりの日々。
LINEは既読スルー。
電話は折り返しなし。
でも、たまに優しくされると、また期待してしまう。
それが“やさしさ”なのか、“罪悪感”なのかすら分からないのに。
周りから見たら「目を覚ましなよ」って言われるかもしれない。
けれど、そんなに簡単に抜け出せるなら、とっくにしてる。
この関係が壊れるのが怖い。
「会えなくなるくらいなら、都合のいい女でもいい」って、
どこかで思ってしまう弱さが、自分の中にある。
だけどある日、ふと鏡に映った自分が、
ちょっと疲れてて、ちょっと淋しそうで、
「私、なんでこんなに我慢してるんだろう?」って、
小さな声が胸の奥で囁いた。
好きって、こんなにも報われないものだったっけ?
愛されるって、こんなにも不安ばかりだったっけ?
都合のいい女になってしまう背景には、
“自分は大切にされる価値がある”って信じられない気持ちがある。
誰かに愛されたいという渇望と、
「どうせ私なんて」という諦めの間で、
心はずっと、揺れている。
でも本当は、誰かに大切にされる前に、
自分で自分を大切にしなければいけなかったんだ。
彼の言葉や行動に一喜一憂するたびに、
自分の価値が揺らぐような恋は、きっと健全じゃない。
恋愛とは、本来「安心」と「信頼」がセットであるべきで、
一方通行の努力や我慢だけで成り立つものじゃない。
愛されたいと思うなら、まずは
「私はこんなにまでしなくても、愛される存在だ」と
自分に言ってあげること。
都合のいい女から卒業するためには、
ほんの少しの勇気が必要だ。
その勇気は、「寂しさ」を受け入れることから始まる。
誰かに選ばれるのを待つんじゃなく、
自分で自分を選ぶことから始まる。
もし今、あなたが“都合のいい女”の役を演じているとしたら、
そろそろその舞台を降りていい。
あなたの価値は、
誰かの都合に合わせることで決まるものじゃない。
心の奥で、「こんな扱いをされていいわけがない」って
小さくても確かな声が聞こえるなら、
その声に耳を傾けて。
愛される準備は、
あなた自身が“私を愛していい”と思えた瞬間から始まる。