恋愛中、何度このセリフを飲み込んできただろう。
「ねえ、ほんとに私のこと、好き?」
心の中では100回くらい叫んでるのに、
口に出せないのは、それを聞くことで壊れてしまう“何か”を、
無意識に察しているからだ。
付き合っていても、愛されている実感が薄い。
一緒にいるのに、どこか孤独。
彼の態度は変わらず優しいけれど、
どこか上の空で、気持ちが遠くにあるように感じてしまう。
愛の言葉が欲しいわけじゃない。
毎日「好きだよ」と言ってくれなくてもいい。
でも、ふとした時に不安になるのだ。
彼の中で私は、ちゃんと“特別”なんだろうかって。
LINEの絵文字が減っただけでモヤモヤし、
デートの時間が短くなると「私、飽きられた?」と心がざわつく。
だけどそんな気持ちを正直に話したら、
「めんどくさい」って思われるかも。
「重い女」だって思われるかも。
その不安が先に立って、私は何も言えなくなる。
そして今日も、心の中だけで「好き?」と問いかけては、
自分で自分をなだめてしまう。
「きっと彼なりに愛してくれてる」
「たまたま今は忙しいだけ」
「私が気にしすぎてるのかも」って。
だけどその“気にしすぎ”の積み重ねが、
やがて“自己否定”に変わっていく。
「私がわがままなんだ」
「私がもっと大人にならなきゃ」
「こんなんじゃ、愛される資格ないよね」
…ねえ、それ、本当にそう?
恋愛って、そんなに自己犠牲しなきゃ続かないもの?
本当に好きな人と一緒にいるなら、
“安心”があって当たり前じゃないの?
「好き」って、相手から言われたい言葉じゃなくて、
お互いが“自然と感じられる関係”の中で、
ちゃんと伝わるものだと思ってた。
なのに私は今、愛されてるかどうかを探るために
彼の言葉や行動を常にチェックして、
小さなサインを過剰に読み取ろうとしている。
それって、幸せな恋愛?
「本当に私のこと好き?」って、
一度聞いたら、きっともう止まらなくなる気がして怖い。
答えを求めれば求めるほど、
私の中の“愛されてないかも不安”は膨らんでしまう。
だから最近、ようやく気づいた。
“好き?”って聞かないと分からない恋は、
たぶん、もう限界なんだ。
言葉にしなくても、
ふとした仕草や目線、態度から、
自然と伝わる愛こそが、本物だと思うから。
もちろん、気持ちは変わる。
ずっと同じ熱量を保つのは難しい。
でもだからこそ、日々の“ちいさな想いのやり取り”が
どれほど大切かに気づいてほしい。
「本当に好き?」って不安になる恋を、
私はもう卒業したい。
“安心して愛せる人”に、
“素のままで愛される恋”に、
これからは時間と心を使っていきたい。
恋愛は、確認テストじゃない。
愛されているかどうかを証明してもらう場じゃない。
心と心が交わる“感覚”を楽しむもの。
もし今あなたが、
「好きって言ってもらえない」
「本当に好きか分からなくて苦しい」と悩んでいるなら、
それはあなたが悪いんじゃない。
ただその恋が、あなたを安心させる設計になっていないだけ。
もっとシンプルに、
「この人といると、あったかい」
そう感じられる恋を、どうか手放さないでいて。
私たちは、もっと愛されていいし、
もっと愛していいのだから。