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自分の人生に“主演女優賞”をあげたくなる瞬間

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誰かが祝福してくれたわけでも、
拍手が鳴り響いたわけでもない。

でもその日、私は鏡の中の自分に、
心の中で小さなトロフィーを手渡した。
「おめでとう。あなたが、今日の主役だったよ」と。

私たちは、いつから人生を“評価されるもの”だと思い込んでしまったのだろう。
キャリア、恋愛、見た目、交友関係。
SNSに並ぶ“いいね”の数と比べては、
今日の自分に「演技力が足りなかった」なんて点数をつけたりして。

でもね、本当は誰かの評価なんていらない。
たとえ観客がゼロでも、
自分の人生の“主演女優”は、ずっと自分。

――そう気づいたのは、
誰にも見せなかった涙を、そっと自分で拭いた夜だった。

好きな人にそっけなくされた日。
理不尽なことで怒られた日。
なぜか涙が止まらなくなった帰り道。

そんなときに、誰にも頼らず、
一人でカップ麺をすすりながらNetflixを流していた私に、
「今日もよく頑張ったね」と声をかけてあげたくなった。

大きな舞台じゃない。
スポットライトもない。
でも、静かに一日を乗り越えた“私”という存在に、
心からの賛辞を贈りたい。

たとえば――

・元カレのSNSを見てしまったけど、あえて“いいね”を押さなかった日
・傷ついた言葉に笑って返せた日
・恋人との未来が見えなくなっても、自分を責めずに寝た日

そんなささやかな瞬間に、
「これが、人生の名演技なのかも」と思えるときがある。

主演女優というのは、完璧にこなす人じゃない。
泥だらけでも、泣いても、迷っても、
それでも最後には“自分らしく”立ち上がる人のこと。

大切なのは、「誰のために演じるか」ではなく、
「どう生きて、自分を愛するか」だ。

恋愛でボロボロになっても、
ひとりぼっちの夜を泣いて過ごしても、
朝になったら、またメイクをして街に出る。
それだけで、私たちは毎日“主演”をこなしている。

だから、たまには自分に言ってあげよう。
「今日のあなた、最高だったよ」って。

人生の主役を演じるのは、誰でもない私。
他人の評価に左右されることなく、
自分の感情も選択も、すべてを引き受けてきた私。

そんな“名女優”にふさわしい、拍手を贈ろう。
自分自身に、主演女優賞を。
今日もまた、“本番”が始まる。

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