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「『本音で生きる』が怖い私たちへ」

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「本音で生きるって、素敵だよね」
そんな言葉を、いったい何度目にしただろう。

SNSでも雑誌のインタビューでも、
“本音で生きる女性”は眩しくて、かっこよくて、憧れの存在として描かれている。
誰かに媚びず、ブレず、自分の言葉で語る彼女たち。

でも、その「本音で生きる」って、
実際はものすごく勇気がいることなんじゃないかと、私は思う。

本音で生きるということは、
「好かれたい」や「嫌われたくない」という防御を外して、
そのままの自分を差し出すってこと。

それは、丸腰で戦場に出るようなものだ。

たとえば、
「本当は会いたかったけど、素直に言えなかった夜」
「デートでイヤだったことを、笑って流したまま帰った日」
「将来のこと、ちゃんと聞きたかったけど“重い女”と思われたくなくて黙った時間」

どれもこれも、“本音”を胸の奥にしまい込んだ瞬間。
そして、後になってなんとなく虚しくなる。
あのときの私は、“私じゃない誰か”を演じていた気がして。

なぜ、私たちは“本音”を隠してしまうのだろう?

きっとそれは、
本音を出すことで拒まれたらどうしよう、
受け入れてもらえなかったら、もう立ち直れない気がする――
そんな恐れがあるから。

でもね、
本音を言うことと、わがままは違う。
本音を語ることは、自分の心に誠実であるということ。

たとえば、「もっと会いたい」と言うこと。
それは相手を責めることじゃない。
「私はあなたが好きなんだよ」という、大切な気持ちの表現。

「傷ついてるから、少し時間がほしい」
それも、ちゃんと伝えていい本音。
黙って消えていくより、
“わかってもらいたい”という願いを、そっと差し出すほうが、
ずっと美しい。

もちろん、いつもいつも本音でいられるわけじゃない。
人との関係には“曖昧”が必要なときもあるし、
傷つかないための“建前”も、悪いことじゃない。

でも、そのバランスを少しずつ調整していく。
“本音の私”と“社会的な私”の間で、
何が一番心地いいのかを探っていく。

それこそが、“本音で生きる”ということなんじゃないかと思う。

本音を出すことは、たしかに怖い。
でも、嘘の自分で誰かに好かれても、
どこかでずっと息苦しくなってしまう。

だから、勇気が出た日には、
少しだけ心の窓を開けてみよう。

「今日はちょっと寂しい」とか、
「それ言われると悲しい」とか、
一言でも、感情を外に出してみる。

たったそれだけで、
世界が少し優しくなることもあるから。

本音で生きるとは、
強くなることではなく、
弱さを認めること。

そして、その弱さごと愛してくれる誰かに、
ちゃんと出会うこと。

あなたの本音は、きっと誰かにとって、
“やっと見つけた本物の声”になる。

だから、怖がりながらでもいい。
少しずつ、自分の本音と仲良くなっていこう。
それが、あなたらしい幸せへの第一歩になるはずだから。

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