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“大丈夫なふり”が板についた私の正体

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「大丈夫?」と聞かれて、反射的に「うん、大丈夫」と答えてしまう。
それが嘘でも、本当でも、もはや関係ない。
“大丈夫なふり”は、もはや私のデフォルト設定になっていた。

泣きたいときも、
誰かに寄りかかりたいときも、
私の口から出てくるのは決まって「平気だよ」だった。

それが「強さ」だと、私は勘違いしていたのかもしれない。

子どもの頃、泣いたら「ガマンしなさい」と言われ、
恋愛で傷ついても「そんな男、忘れなよ」と言われ、
失恋して沈んでいたら、「次、次!」と背中を叩かれた。

そうやって、私たちは学んだのだ。
“感情はできるだけ見せない方がいい”と。

でもある日、ひとりで泣いている自分を見て、
ふとこう思った。

「誰にも“本当の私”を見せてないのは、私のほうじゃない?」

私たちは、相手に「わかってほしい」と願いながら、
本音をどこかにしまい込んで、
「大丈夫なふり」でコーティングする。

でも、ふりをしているうちに、
自分でも“本当の気持ち”がどこか分からなくなってくる。

好きって言いたかったのに、言えなかった。
寂しいって伝えたかったのに、強がった。
イライラしていたのに、笑ってごまかした。

それが積もって、いつの間にか私たちは、
“平気な人”を演じるのがうまくなってしまった。

でも――それって、本当に“かっこいい”のだろうか?
本当のかっこよさって、
「平気じゃない自分」をちゃんと見せられる勇気なんじゃないかと思う。

あるとき、私は思いきって友人に「ちょっと、疲れてる」と言ってみた。
すると彼女はすぐに、「私も。今週ほんとつらかった」って返してくれた。
その瞬間、私は気づいたのだ。

“弱音”って、誰かの心を開く合言葉なんだって。

「大丈夫じゃない」って言っても、誰も私を嫌ったりしない。
むしろ、「大丈夫じゃない時間」を共有したほうが、
関係はもっと深まっていく。

恋人にも、言ってみた。
「今日はちょっと気分が落ちてる」
彼は驚いた顔をしたけれど、「そっか、一緒にのんびりしようか」と言ってくれた。
その優しさに触れて、泣きそうになったのは言うまでもない。

“大丈夫なふり”は、確かに便利だ。
でもそれは、時に“心を閉じる言葉”にもなってしまう。

だから私は、少しずつ“ふり”を脱ぐ練習をしている。

平気じゃないときは、
ちゃんと「そう言う」勇気を持つこと。

それは甘えでも、弱さでもない。
それが、自分を大切にするということ。

私たちはみんな、強がりな女優だ。
誰にも頼らずに頑張ることもできるけど、
本当に美しいのは、
“素の表情”で人とつながれた瞬間じゃないだろうか。

「大丈夫」じゃないと言える夜。
それこそが、本当に“心が大丈夫”になる第一歩かもしれない。

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