――恋はしてないけれど、ひとりの時間が嫌いなわけじゃない。
でも、ふとした瞬間に「隣に誰かがいたら」なんて考える夜もある。
六本木の裏通りにひっそりとある、ワインバー「Noir(ノワール)」。
重たいドアを開けた瞬間、ふわりと漂うオークとカシスの香りが、今日のわたしを受け止めてくれる。
カウンターの一番奥。いつも通り、グラスの向こうにマスターの穏やかな笑顔。
「こんばんは。今夜は…ちょっと落ち込んでる顔ですね」
ばれてる。やっぱり。
「じゃあこれ、“恋を忘れたい女のワイン”。スペインのプリミティーヴォ、どうです?」
その名前、反則じゃない?と思いながらも、受け取ったグラスを唇に運ぶ。
一口で、ぐらりとくる。
果実味が豊かで、でもどこか乾いた後味――そう、まるで私みたい。
1ヶ月前。
長く続いていた“なんとなくの関係”に、終止符を打った。
恋人未満、友達以上。
お互い寂しさを埋め合っていただけなのは分かっていたけど、
それでもバレンタインのチョコを渡したら「ありがとう」って返されたのが決定打だった。
「私、あなたのなんなの?」って、言葉にした瞬間、すべてが冷めてしまった。
それからの私は、仕事に没頭して、友達と笑いあって、それなりに満ち足りてる。
でもね、不意にくるんだよ、夜の“感情の谷間”ってやつが。
そのたびにこのバーに来て、恋の代わりにワインを飲む。
隣に座った女性が、ぽつりと話しかけてくる。
「それ、美味しそうですね」
「これ、“恋を忘れたい女のワイン”だそうです」
思わず笑ってしまった。そう言うと彼女も笑った。
「じゃあ私も同じのください」
女性同士って、こういう瞬間に救われる。
肩の力を抜いて、素直な自分でいられるから。
ワインバーには魔法がある。
ひとりで来たはずなのに、誰かとつながれる。
たとえばそれが女性でも、偶然でも、ただの数時間でも、心の孤独が少しずつ解けていく。
「今度、一緒に来ませんか?」
その彼女の一言に、また笑ってしまう。
ねえ、これって――もしかして、恋じゃないとしても、なにかが始まってる?
ひとりの夜に、グラスを傾ける女は、決して“さみしい人”なんかじゃない。
ただ、ほんの少しだけ、誰かと心を分け合いたいだけ。
そんな夜にぴったりなワインがある限り、私はもう少し、このままでいい。
恋を焦らず、ひとりを楽しむ。
グラスの中の余韻に、そんな強がりをそっと溶かしながら。