PR

2.『シャルドネに浮かぶ後悔』

恋愛コラム 恋愛

「もう、何歳だと思ってるの?」
母のその一言で、私は口を閉じた。

日曜の昼、久しぶりに実家に顔を出せば、話題はいつも決まって“結婚”。
「職場でいい人いないの?」「紹介しようか?」
ありがたいような、でもそれって“今の私”が不完全って言われているようで、やるせなくなる。

母のリビングで淹れられた紅茶の温度と、私の心の温度は、どちらもぬるかった。


その夜、私はまた「Noir(ノワール)」のドアを開けていた。
背中を押されたわけじゃない。
でもきっと、ひとりで考え込むには少し心が重すぎたのだ。

「こんばんは」
マスターの声に、無理やり口角を上げて返事をする。
「今日のあなたには、ちょっと優しい白を。シャルドネにしましょうか」

すっと差し出されたグラスから立ちのぼるのは、洋梨とバターのふくよかな香り。
冷たさの奥に、ぬくもりを感じる不思議な味だった。

「……なんか、わたしの気持ちにぴったり」
思わず、口から漏れる。


「ねえ、なんでこんなに“結婚”って急かされるんだろう」
マスターは、ワインの栓を抜きながら言った。
「“安心”を手に入れてほしいと思ってるんじゃないですか」

安心。
たしかに、結婚って「これでよかったんだ」って言えるためのゴール、みたいなものだと思ってた。
でも、今の私ってそんなに“不安定”なんだろうか?

会社では後輩の指導も任されているし、好きな服を買えて、週末は美術館巡り。
恋愛だけが、そんなに欠落してるって言われる理由なんて、本当はないはずなのに。


ふと隣を見ると、若い女の子が座っていた。
キラキラしたイヤリングに、巻いた髪。可愛い子だった。
彼女がスマホを見ながら、小さく笑った。
「すみません。今日プロポーズされたんです。嬉しくて、つい」

その一言で、私の胸にまた波紋が広がった。
結婚していく誰かの報告は、いつだってちょっとした“焦り”を伴う。
自分が置いていかれたような気持ち。
でもそれって――競争じゃないのにね。


2杯目のシャルドネを飲み干すころ、私はふと気づいた。
「私、自分の選んだ“今”を、もっと信じてあげればよかった」

誰かと比べて決める未来より、
私だけの感覚で選んだ時間のほうが、ずっと豊かなはずなのに。


「今日のワイン、いいですね」
帰り際、マスターにそう伝えると、彼はうれしそうに笑った。
「シャルドネはね、自分を肯定したい夜にぴったりなんです」

私の足取りは、来た時よりほんの少し軽くなっていた。
まだ“隣にいる誰か”は見えないけど、それでもいい。

この夜のシャルドネが、静かに教えてくれた。
焦らなくていい。私の時間は、私のもの。

タイトルとURLをコピーしました