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『カベルネ・ソーヴィニヨンと嘘から始まった恋』

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恋の始まりは、ほんの小さな嘘だった。
嘘だと気づきながら、私はグラスを傾けた。
重たくて、温かくて、逃げられない味がした。


「独身って言ってたよね?」
「……うん」

その日、彼の指に指輪はなかった。
でも、彼の声にどこか“生活の匂い”を感じたのは、私の勘違いじゃなかった。


2週間前、ワインイベントで出会った。
都内のホテルのラウンジ。
彼はスーツ姿で、ワイングラスを片手に私に話しかけてきた。

「そちらのカベルネ、もうお試しになりました?」

彼の声も、選んだワインも、深くて落ち着いていて、
私はまるで大人の恋に誘われた気がした。

それが、最初の一口だった。


今夜も、私は「Noir」に来ていた。
“彼に会いたくなると、赤が飲みたくなる”
そんな自分に気づいてから、ここでは必ずカベルネ・ソーヴィニヨンを頼むようになった。

🍷 カベルネ・ソーヴィニヨン/産地:ナパ・ヴァレー(アメリカ)
力強いタンニン、完熟したブラックベリーとカシス、
さらに樽熟成によるバニラとスモーキーな余韻が特徴。
複雑で濃密、けれど品のある男性的なワイン。

グラスを口に運ぶと、唇に粘るほどの濃厚な果実味。
“あなた”に似てる。
最初から、嘘とわかっていたのに、私は逃げられなかった。


最初の嘘は、彼の結婚指輪が「外してある」こと。
次の嘘は、「もう終わってる関係」と言ったこと。
その次は、私が「平気なふりをして笑った」こと。

嘘に嘘を重ねるほど、カベルネの味が深く染みていく。
たった一夜のつもりだった。
でも、恋は計算じゃできなかった。


「本気になったら、ダメだよ」
彼のその一言で、私はやっと目が覚めた。

“恋人”にはなれない。
“誰かの代わり”にも、“特別”にもなれない。

じゃあ私は、誰だったの?


マスターが静かに声をかけてくれた。
「今夜のカベルネは、いつもより少し時間をかけて開かせてください」

そうして注がれたグラスは、どこか冷たくもあり、熱くもあり、
今の私の心とよく似ていた。


「重たい恋だったんですね」
隣に座った女性がぽつりと話しかけてきた。
「私も、かつてそういう恋をしてました。
でもね、カベルネって、きちんと呼吸させると、ちゃんと柔らかくなるんです」

私はその言葉に、ふと胸が温かくなった。


きっと、私の心も同じだ。
まだ渋みが残ってるけれど、
きちんと時間をかければ、少しずつ開いていく。

濃密な恋の後には、きっと澄んだ風が吹く。
だから私は、今夜を最後にしよう。
彼を思って飲むカベルネも、ここで終わりにする。


恋が本物じゃなかったわけじゃない。
ただ、それは「始まりの嘘」で、
だからこそ、終わらせる強さが必要だった。

また恋ができる日まで、
私はワインと、自分自身を、信じていたい。

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