《リースリングと、遠距離の約束》
――「距離は関係ないよ」
その言葉が、一番遠くに感じたのは私だった。
彼と出会ったのは、2年前の夏。
ドイツ旅行で立ち寄った、ライン川沿いのワイナリー。
同じツアーにいた彼は、日本人だけどベルリンに赴任中で、
旅の最後のディナーで、自然と隣の席になった。
「このリースリング、君に似てる。繊細だけど、芯がある」
その褒め方がいちいち照れくさくて、でも嬉しかった。
帰国する飛行機で、彼から連絡先を渡された。
「また、会えるといいね」
たったそれだけの言葉に、私は期待してしまった。
それからの1年は、まるでワインみたいだった。
甘くて、ちょっと酸っぱくて、
夜中のビデオ通話で語り合う時間が、毎日の癒しになっていた。
「次の休暇で日本に戻るよ」
「そのときは、絶対『Noir』に連れて行って」
そう約束していたのに。
パンデミック、延期、異動――そして、連絡はだんだんと減っていった。
その後、一通のメッセージだけが届いた。
「ごめん、今は新しい生活に向き合う時間が必要かもしれない」
彼の国に、もう私はいなかった。
今夜、私は「Noir」のカウンターで、あの約束をひとり果たす。
マスターに頼んだのは、もちろんリースリング。
🍋 リースリング/産地:ドイツ・モーゼル地方
蜂蜜や青リンゴ、柑橘、白い花のアロマ。
酸味がきりりと際立ち、後からじわりと甘さが広がる。
繊細で清らか、だけど時間が経つほど複雑になる味わい。
グラスを傾けると、あのとき彼と飲んだ、冷たい白の記憶がよみがえる。
言葉よりも、空気が近くにいたあの夏の日。
「遠距離って、続かないですよね」
隣に座った女性が、ため息混じりに言う。
私は笑った。
「でも、遠距離だったからこそ、信じたかったこともあるんですよ」
「…信じたくなかったことも?」
「それも、含めて全部、恋だったと思いたい」
私たちは、いつも“この距離を埋めよう”としていた。
でもきっと、本当は“埋められない理由”を探してたのかもしれない。
それでも。
あなたと出会って、愛した自分を、私は誇りに思う。
グラスの底に残ったリースリングは、ほんのり甘い。
「またいつか」と願ったけれど、もう“また”は来ないのかもしれない。
でも、あの遠い国に、私を思ってくれた人がいたということは、
確かに私の人生を豊かにしてくれた。
🍏あとがき:リースリングは、酸味とともに甘くなる
人生も恋も、距離を測るものじゃない。
“近くにいても遠い”こともあるし、
“遠くても近かった”夜もある。
リースリングは、そんな揺れ動く感情にぴったり寄り添ってくれる。
あなたの恋が、少しでも優しい余韻に変わりますように。
