6月の終わり、街はもうすっかり夏仕様。
ショーウィンドウには、パステルカラーのノースリーブや、華奢なストラップのサンダル。
そして、私の大好きな“オフショルダー”。
そう、オフショルダーはまるで夏の恋そのもの。
少し大胆に肩を出して、風に肌を預けてみると、
いつもより少しだけ自由になったような気がする。
誰かに見られることを意識しながらも、
「見せたいのは、全部じゃない」と言いたげな、計算された肌見せ。
でも気づいたの。
肌を出しすぎると、冷えやすくなるのよね。
それって、まるで恋と同じじゃないかしら?
恋のはじまり。
つい自分のことをよく見せたくて、
“興味あるふり”や“理解ある女”を演じたりする。
返事は早すぎず、でも遅すぎず。
相手に期待させるけど、自分はまだセーフティに保つ。
そう、オフショルダー的な恋の駆け引き。
でもね、
あまりに“見せること”に夢中になると、
本当の自分が見えなくなるの。
それって、真夏の電車で冷房に震えてるのに、
「寒くないフリ」してるのとちょっと似てる。
私の友人サエコは、去年の夏、オフショルダーで現れた。
見た目は完璧。ヘアもメイクも涼しげで、恋愛にも抜け感がある。
でも彼女がぽつりと漏らしたの。
「ほんとは“好き”って言いたい。でも、言ったら終わりそうで怖いの」って。
その時、私は思った。
恋って、“肌見せ”のタイミングを間違えると、冷えきってしまうんだと。
ファッションでいえば、素肌をさらけ出すにもコツがいる。
全部を出すのではなく、ちょっとだけ覗かせること。
“引き算”の美学ってやつね。
だけど恋の場合、その“引き算”が行き過ぎると、
「何を考えているのか分からない人」になってしまう。
そして、相手にとっても「なんだか冷たい人」で終わってしまうことがある。
だから私は、今年の夏、オフショルダーを着るときに決めたの。
「心のどこかも、少しだけ見せること」を。
「会いたいな」って言ってみること。
「今日の服、ちょっとドキドキするでしょ?」って、冗談めかして甘えてみること。
そんな風に、“恋の肩先”をちらっと見せるくらいがちょうどいい。
人は、見せすぎると安心しすぎるし、
見せなさすぎると不安になる。
ちょうどいいバランスは、自分の心地よさの中にある。
恋も、肌も、守りながら見せる。
それが、今を生きる私たちの“夏の愛し方”なのかもしれない。
太陽の下で、風を感じながら、
誰かの視線をちょっとだけ楽しんで、
でも、冷えすぎた夜はカーディガンを羽織るように、
心にもちゃんと毛布をかけてあげたい。
夏は、短い。
恋も、短く終わってしまうことがある。
でも、
自分のペースで、ちゃんと肌を、心を、見せられた恋なら──
きっと秋が来ても、優しい記憶として残るはず。