PR

サンダルを履く季節、恋も軽やかにいきたい

恋愛コラム 恋愛

六月の終わり。私はお気に入りの白いペディキュアを見つめながら、今年最初のサンダルに足を滑り込ませた。

ストラップが細くて、歩くたびにコツコツと音が鳴る、ヒール低めの女らしい一足。
“靴を選ぶ”というこの行為が、私は昔から好きだ。
なぜなら、靴はその日の私の気分を語るから。

ヒールが高ければ「ちょっと勝負の日」、
スニーカーなら「今日は守りに入ってます」、
でもサンダルは──
「私は、ちょっと風になりたい気分」っていう日。

そしてふと思ったの。
恋も、こういう“軽やかさ”が必要なんじゃないかって。

いつの間にか私たちの恋愛は、重たくなっていた。

「次に付き合うなら、結婚前提で」とか、
「いい歳なんだから、無駄な恋はしたくない」とか、
LINEの返信の“遅さ”にも、予定の“未定さ”にも、
いちいち“意味”を探しに行ってしまう。

もちろん、大切なことよ。
真剣に考えるって、責任のある大人の恋だもの。
だけど、
真剣になりすぎて、「ときめき」を置き去りにしてない?

例えば、サンダルを履いて出かけた日。
たまたま駅の階段で手を差し伸べてくれた男性に、
「ありがとう」と笑えたその瞬間の軽やかさ。
その一瞬に心がふわっと浮いたなら、それも立派な恋の始まりかもしれない。

“この人、結婚する気あるかな?”とか、
“年収、前の彼と比べてどうかな?”なんて、
頭の中の計算機をカチカチ動かしてたら、
足元の花にも、季節の匂いにも気づけないわ。

重たい恋は、たしかに安心感がある。
だけど、軽やかな恋には、自由がある。

その日限りの会話でも、
一度きりのデートでも、
「楽しかったな」と思えたら、それで十分な日もある。

私の友人・ユリは最近、旅先で知り合った韓国人男性と、空港で別れるまでの3日間だけ恋をした。
「付き合うとか将来とか一切考えず、ただ今だけを楽しむって、すごく心が軽かった」って笑ってた。

その笑顔が、サンダルで飛び跳ねるように眩しかった。

だから私は今日、恋に迷ってるあなたに言いたい。
“素足”で恋してもいいんじゃない?

傷つくかもしれないし、急な雨に濡れることもあるかもしれない。
でも、それもまた一興。
風が通り抜けるような恋は、
いつかの重たい恋では得られなかった、
「私らしさ」を思い出させてくれるかもしれない。

サンダルを履く季節、
恋も軽やかにいきたい。
強がらず、焦らず、でもちょっとだけ風を味方につけて。

私たちの恋に必要なのは、完璧な相手じゃなくて、
心地よく歩けるペースなのかもしれない。

タイトルとURLをコピーしました