私の友人は、ある日こんな名言を放った。
「セフレって、“好き”を言葉にする前にパンツ脱いでる関係だよね」
なるほど、確かに。
そして厄介なのは、それが心地よくて、やめられないということ。
現代の恋愛は、なんでも“グレーゾーン”が多すぎる。
好きだけど、付き合ってない。
会うけど、名前は保存してない。
キスはするけど、彼女じゃない。
それってもう、恋愛っていうより、
「感情のミステリーツアー」じゃない?
私にもかつて、“名前のない関係”に夢中になっていた夜があった。
彼は毎週末、うちに来て、映画を観て、朝までいた。
でも「付き合おう」と言われたことは一度もない。
私の誕生日もクリスマスも、「仕事で無理」と言いながら、
次の日にはストーリーに誰かといる影が映ってたりした。
にもかかわらず、会えば優しいし、ベッドではちゃんと私を見てくれる。
ねぇ、これは一体何?って、心の中で何百回も問いかけながら、
私は毎回、“都合のいい彼女”という役を演じ続けた。
「セフレ」という関係は、
体の距離が近いぶん、心の距離をごまかしやすい。
彼が何も言わないのは、
“私に気がない”からじゃなく、
“気持ちに名前をつけるのが面倒”だから。
でも、私たち女性は、どこかでこう思ってる。
「続けていれば、いつか彼の“特別”になれるかもしれない」って。
だけど現実はこう。
セフレから本命に昇格する確率は、
冷凍餃子からミシュラン星を取るくらい、レアな話。
ある夜、友達とワインを飲みながら、私はふと口にした。
「ねぇ、私、好きって言われたことないのに、
“愛されてる気がする”って思い込んでたかも」
すると友人がサラッと返した。
「それ、自己愛の幻想ってやつよ。
彼じゃなくて、自分に恋してるの」
ぐうの音も出なかった。
結局、私が彼に求めてたのは、
優しさでも、エッチでもなくて、
“自分の存在価値”だった。
それを、返信のスピードとか、
夜に手を握ってくれるタイミングとかで
測ろうとしていた。
でも、本当に大切にされてるかどうかって、
もっとシンプルなことでわかるのよね。
「あなたのこと、ちゃんと大事に思ってる」
って言ってくれる人は、
わざわざ“言わなくていい関係”なんて求めてこない。
私たちは、大人になるほど、
“割り切ること”が上手くなる。
けれど、「割り切ってるつもり」の恋ほど、
後から心に残るのはなぜ?
それは、自分にウソをついた数だけ、
感情が置き去りにされているから。
心と身体の両方を重ねる恋ができたとき、
私たちは“ちゃんと愛された”と、ようやく思えるのかもしれない。
だから私は今、恋のステージを変えた。
服を脱ぐ前に、ちゃんと心を開いてくれる人とじゃないと、
ベッドにも入らないって決めた。
ちょっと遅い決意かもしれないけど、
そのほうが、夜が少しだけ暖かくなる気がするから。