ある日、女友達と集まった夜のこと。
ワインを片手に、話題は当然のように“恋バナ”に。
「最近いい人いた?」「久々に恋したいよね〜」
そんな会話のなかで、私だけが黙っていた。
「ねえ、最近どうなの?恋愛の方は?」
その質問に、私はちょっと笑ってこう返した。
「え〜、恋愛?……ねえ、それってどこで売ってる?」
最近、“恋愛できない人”が増えている。
いや、正しくは、「恋愛したくてもできない」と感じる人たち。
出会いがない、トキメキがない、そもそも人を好きになる感覚が戻ってこない。
それは別に、冷めてるわけじゃないし、心が壊れたわけでもない。
だけど、
「なんで恋愛できないんだろう」
「私って、何か欠けてるのかな?」
って、夜にひとりで考えてしまう。
それが地味に、しんどい。
恋愛って、しようと思ってするものじゃない。
よく言われるこの言葉、正論すぎてグーの音も出ない。
でも、正論で心が救われることって、案外少ないのよね。
私は恋愛できない時期に、
街中のカップルを見るだけで、なぜか“取り残された感”を感じていた。
「彼氏できない」じゃなくて、
「誰かに“好き”って言える感情が起きない」ことに
焦っていたのかもしれない。
だけど気づいたの。
恋愛って、ちょっと“余裕のある心”にしか入ってこない。
毎日忙しくて、自分のことでいっぱいいっぱいなときに、
他人にトキメク余裕なんて、あるわけないじゃない?
恋愛できない=魅力がない
なんて思いがちだけど、そんな方程式、どこにも存在しない。
むしろ、“恋愛に依存してない女”ほど、かっこいいと私は思う。
でも、そんな私たちがたまに落ち込むのは、
「恋愛してる方が女らしい」っていう
社会のふわっとした圧のせいかもしれない。
ここで声を大にして言いたい。
恋してないからって、私の価値は下がらない。
愛されてないからって、私の人生は未完成じゃない。
“恋愛してる自分”だけがキラキラしてるんじゃなくて、
ちゃんと日々を生きている私自身が、すでに十分に素敵だ。
それでも、「ちょっと寂しいかも」って夜が来たら、
誰かに頼ってもいい。
たとえば、占いだってひとつの手。
恋愛できない理由が、自分では見えなくなってしまったとき、
そっとヒントをくれる存在になる。
私の友達は、恋愛のブランクが5年あった。
「恋ってどうやって始まるのか、忘れた」って笑ってたけど、
ある日ふいに、コンビニの店員に一目惚れしてた。
恋って、落ちようとした瞬間には落ちないし、
構えてるときほどやってこない。
だけど、“その瞬間”がちゃんとまた来ることは、信じていい。
恋愛できない期間は、心が休憩してるだけかもしれない。
ちゃんと整ったら、きっとまた、
誰かの声にときめいて、笑顔に心が動く日がくる。
そのとき、焦らず自分らしく恋ができるように、
“自分の恋心”を責めずに、今は大切に温めておこう。
焦らない恋のほうが、意外とロングランになるものだから。