「まだ結婚してないの?」
そう聞かれるたび、心の中でこうつぶやく。
「してない、じゃなくて、“しない”の」
そう、私は結婚しないと決めた。
少なくとも“今のところ”は。
でもこの選択肢、
どうしてこんなにも説明が必要なんだろう。
20代のころは、「結婚=幸せ」の公式を
どこか疑いもせずに信じていた。
愛する人と出会い、結婚して、子どもがいて、
小さな家に暮らして、手をつないで歳をとる──
そんな“教科書みたいな未来”を想像してた。
でも現実の私は、30を過ぎても誰とも結婚しておらず、
それどころか、結婚を“目標”にもしていない。
代わりに、仕事に情熱を注ぎ、
夜には友達と飲みに出かけ、
一人旅をしたり、新しい料理に挑戦したり、
“誰かの妻”じゃない自分を、丁寧に育てている。
それなのに──
「いつかはしたいでしょ?」
「早くしないと、子ども産めなくなるよ?」
「親がかわいそうじゃない?」
……余計なお世話も、ここまで来ると、もう芸術的。
私が「結婚しない」と言うと、
まるで“何かを諦めた人”のように見られることがある。
でもちょっと待って。
それって、“結婚する=勝ち組”という
時代遅れの神話を、まだ信じてるってこと?
私は何も諦めてない。
むしろ、自分で選び取ってる。
自由な時間、心地よい距離感、気まぐれな夜の過ごし方。
誰にも気を遣わずに眠れる朝。
好きなときに好きなものを食べて、
誰のためでもなく、自分の機嫌を自分でとる毎日。
それって、とても“ちゃんとした人生”じゃない?
もちろん、不安がないわけじゃない。
一人で年をとること。
病気になったときのこと。
孤独死、なんてワードが脳裏をよぎる夜だってある。
でも、
「誰かがいるから安心」って本当にそう?
そばに誰かいても、心がひとりぼっちなら、
むしろその方が、ずっと孤独なんじゃない?
自分を知って、愛して、整えていくこと。
その積み重ねが、自分だけの“安心”になるんだと、
今はそう思っている。
それでも。
スーパーで家族連れを見たときや、
親から「孫の顔が見たい」と言われたとき、
心が揺れる瞬間は、正直ある。
“私、これでよかったんだっけ?”って、
夜中にベッドの上で、少しだけ考えてしまう。
でもそんなとき私は、自分にこう言う。
「結婚しない選択は、“愛の否定”じゃなくて、“愛の再定義”なんだ」
誰かと生きることも素敵。
でも、誰かに合わせすぎて自分を見失うくらいなら、
私は“自分を愛する”人生を選ぶ。
コラムの最後には、
それっぽい“オチ”が必要よね。
でも、人生ってオチより“途中経過”がずっと大事で、
私たちは今、その途中にいるだけ。
そして何より──
結婚してない私も、今のところ、わりと幸せよ。
だから、
「幸せですか?」と聞かれたら、
私はにっこり笑ってこう答えるの。
「独身だけど、機嫌よく生きてます」って。