「これって、いつまで続くの?」
ある夜、ふたりで観ていたNetflixのドラマが終わったあと、
ふと頭に浮かんだその疑問は、
まるでエンドロールみたいに静かに私の胸を通り過ぎた。
私たちは付き合って4年。
同棲してからは2年とちょっと。
一緒に暮らすことは、もう“特別なこと”じゃなくなっていた。
冷蔵庫の中身を補充してくれる彼、
私が生理で機嫌が悪い時も、そっとそばにいてくれる彼。
正直、不満はない。むしろ感謝しかない。
でも――「このままで、いいのかな?」
同棲にはメリットが多い。
ひとりの寂しさを埋めてくれるし、
恋人でありながら、家族のような親密さも持てる。
結婚前の“試運転”としては最高だし、
光熱費だってシェアできるし、
ふたりで過ごす時間は、なにより温かい。
だけど、ふと立ち止まる瞬間がある。
私たちは、“同棲をしている”だけで、
“何かに向かっている”わけじゃないのかもしれない――と。
「結婚する気はあるの?」
この質問、地雷のように感じてしまうのはなぜだろう。
まるで、ロマンチックな関係に現実のナイフを突き立てるような気がする。
でも、30代にもなると、恋の時間だけじゃ満たされないものが増えてくる。
友人たちは次々に結婚し、
「入籍しました」のSNS投稿に“いいね”を押しながら、
自分の中でこっそりため息をつく。
それでも、私は今の彼と離れたいわけじゃない。
むしろ、彼ほど私を理解してくれる人はいないと思っている。
でも、じゃあ聞くけど、
「このまま結婚しない同棲を続ける」って、本当に幸せなの?
世間の視線は時に残酷だ。
「一緒に住んでるの?じゃあ、もうすぐ結婚?」
「まだプロポーズされてないの?」
「もしかして、キープされてるだけじゃ…?」
親戚の集まり、学生時代の友人との会話、
年末年始の帰省――
同棲カップルには、逃げ場のない“問いかけ攻撃”が待っている。
けれどその度に、私は心の中でこうつぶやく。
「結婚してる=幸せ、じゃないでしょう?」
事実、結婚して心が離れてしまった友人、
子育てに追われて自己肯定感を失っていった同級生、
浮気されたあとも“子どものため”に離婚を踏みとどまっている同僚。
幸せのカタチは、誰かが決めるものじゃないってこと、
もう知っているはずなのに。
じゃあ、結婚しない同棲はナシなのか?と問われれば、
私は胸を張ってこう言う。
「アリ。だけど、それがふたりの合意なら、ね」
問題なのは、“どちらかが不安を抱えているのに、
それを話し合えない状態”のまま、月日が流れてしまうこと。
同棲生活が“ぬるま湯”になってしまうと、
その快適さが、未来への歩みを止めてしまうこともある。
「結婚したいわけじゃないけど、今のままじゃ不安」
この気持ちを口に出すことは、愛を壊すことじゃない。
むしろ、“同じ方向を見ているか”を確認するために、
必要なプロセスなんじゃないかと私は思う。
ある夜、彼とワインを飲みながら言ってみた。
「もし、私たちがこのまま結婚しなかったとしても、
それって幸せだと思う?」
彼は少し黙ってから、笑ってこう言った。
「毎朝君がいることが幸せだよ。形は関係ない」
それを聞いて、私は安心した…わけではない。
だって、それってすごく“今が良ければそれでいい”的な考えじゃない?
愛の本質って、“今の幸せ”だけじゃなく、
“将来に対する誠意”でもあるんじゃないかと、私は思ってしまう。
結婚しない同棲が「アリ」かどうかは、
ふたりの間に“確認し合える未来”があるかどうかだと思う。
たとえ婚姻届がなくても、
「この人と歳を重ねたい」と心から思えるなら、
それはもう、十分に“人生のパートナー”なんじゃないか。
でも、そうじゃなくて、
ただの“都合のいい関係”になってしまっているのなら、
私たちは、自分の未来を自分で曇らせてしまっているのかもしれない。
恋愛のゴールは、結婚じゃなくて「納得」だ。
心から納得できる形で誰かと共に生きられるなら、
たとえそれが“結婚しない同棲”でも、私はこう言いたい。
「それ、立派な愛のかたちだよ」って。