「ねえ、結婚したいと思わないの?」
彼が突然、真剣な顔でそう言った。
私は手元のワインをひとくち、グラスに注いでから答える。
「もちろん、結婚したいわよ。でも、“家族”っていう形には、どうしても恋ができないのよね。」
彼は眉をひそめる。
「どうして?」
私は少し考え込む。
彼との関係は、すごく素敵だし、一緒に過ごす時間も心地よい。
でも、「家族」という形になると、どうしても息苦しさを感じてしまうのだ。
みんなが夢見る理想の「家族」の形。
家に帰れば、愛する人と子どもたちが迎えてくれる――
そんなドラマのような未来を想像したこともあったけれど、
実際にその「家族」を想像した瞬間、心が重くなる。
「家族」という言葉に、
私はどこか、“責任”と“役割”を感じてしまうのだ。
結婚して、子どもを育てて、家事をして、
みんなが求める「普通の家庭」を築く。
それが社会の中での“成功”だとされている。でも、それに恋することができるだろうか。
「家族」になっていく過程で、恋愛感情って消えてしまうような気がするのだ。
もちろん、家族を愛する気持ちはある。
でもそれは、情熱的な「恋愛」じゃなくて、
安心感や温かさが溢れる「家族愛」なのだと思う。
結婚し、家庭を持つことが「ゴール」とされている風潮の中で、
私はどうしてもその定義に納得できなかった。
結婚することが「幸せ」や「成功」とされるけれど、
本当にその形が私にとっての幸せなのか、わからなかった。
「家族」としての幸せと、「恋愛」としての幸せ、
それが同時に存在するのは難しい気がしていた。
もちろん、結婚して家族になることが幸せだと感じる人もいるだろうし、
それが人生の中で最高の“恋”だと思う人もいるだろう。
だけど、私にとっては、“家族”という形には、恋愛の熱が足りないと感じるのだ。
例えば、パートナーとしての愛情が少しずつ薄れ、
互いに「家族」としての役割を果たすことが中心になっていくのが怖かった。
だからこそ、私はまだ「家族」という形を選べない。
もし結婚して、子どもを持ち、家族として生きることになったら、
私はその愛を「恋愛」と呼べるだろうか?
それとも、ただの“生活”として受け入れるしかないのだろうか。
ある日、友達が言った。
「結婚して家族を作ることが、あなたにとっての幸せだと思ってる。
でも、それって本当に“あなた”の幸せなの?」
その言葉がずっと頭から離れなかった。
私は本当に、「家族」という形に恋しているのか?
たぶん、私は「家族」という形に恋ができない。
結婚しても、子どもを育てても、愛し合っていても、
私の中で恋愛としての感情は消えてしまう気がするのだ。
今は、恋をすることが私の幸せの中心だと思っている。
恋愛は予測不可能で、情熱的で、時には激しくて、
そして少しだけ不安で、心を揺さぶられる。
でも、「家族」になることで、その情熱を忘れてしまうのは怖い。
たぶん、私が求めているのは、「家族」という安定した形ではなく、
変化と成長を楽しむ恋愛そのものなのだと思う。
結婚して家族を作ることは、社会の常識では幸せとされている。
でも、私にとっての幸せは、その形だけに縛られない。
もし、家族になることが恋愛の先に待っているものだとしたら、
その瞬間が来た時に、私はその形を選ぶかもしれない。
でも今は、その形が私にとっての“幸せ”だと感じられない。
だから私は、今も恋をしている。
家族の形に恋することができるようになった時、
きっと、私はそれを受け入れる準備ができているだろう。
でも、それまでは、
“恋愛”という名の自由な旅を続けることに決めたのだ。