「ねえ、この先、私たちってどうなると思う?」
ある夜、ベッドの中で彼にそう聞いた。
聞いた瞬間、しまった、って思った。
恋人に「未来」を問うのは、時にロマンを壊す爆弾になる。
でも、恋って“今”だけじゃ終われない。
歳を重ねるごとに、私は少しずつ、恋に“未来”を重ねるようになった。
ロマンチックな夜のキスの後、ふと「この関係に将来はあるの?」と不安になるように。
20代の恋は、スリルと感情がすべてだった。
明日のことなんて考えなくても、
「今」が楽しくて、「今日」好きで、「この瞬間」がすべてだった。
だけど、30代になって思う。
未来が見えない恋って、たまにとても虚しい。
彼の横顔を見ながら、
「この人と老後を迎える未来は想像できる?」と自問する日がある。
結婚したいわけじゃない。
でも、未来を語れない関係に、どれだけの情熱を注ぎ続けられるのか――。
そんな疑問が、たまに夜中の胸の奥をかすめていく。
一方で、「未来を考えすぎる恋」は息が詰まる。
「何歳までに結婚したい」
「子どもは二人」
「マイホームは郊外で庭付き」
そんな“人生設計プラン”に恋を押し込もうとした瞬間、
途端にドレスのチャックがきつくなったような窮屈さを感じる。
それはまるで、「恋愛」という自由なダンスを、
誰かが決めたフォークダンスに無理やり合わせるようなもの。
未来を見据えることは大切だけれど、
未来に縛られて、今を失いたくはない。
じゃあ、どうすればいい?
私は最近、こう考えるようになった。
恋に“具体的な未来”を求めるんじゃなくて、
“想像したくなる未来”があるかどうか、を大切にすること。
彼と肩を並べて歩く未来、
不器用な料理を笑い合う未来、
深夜2時にどうでもいい話で笑い合える未来。
そんなささやかな未来を、ふとした瞬間に思い描ける相手かどうか。
恋人として完璧じゃなくてもいい。
結婚というゴールを急かさなくてもいい。
でも、“ずっと一緒にいたいかも”って、
自然に思える瞬間があるかどうか、それが私の恋の物差しになった。
未来を見据えた恋って、実はとてもロマンチック。
それは“誓い”ではなく、“想像”に近い。
「この人と、10年後のカフェでも、同じようにコーヒーを飲んで笑っていられたらいいな」
そんな風に思えるだけで、恋に未来の光が差し込む。
そして、その“想像”は、
きっと2人の“選択”によって、少しずつ現実になっていく。
未来を見据えた恋は、焦らない。
でも、ちゃんと見てる。
相手の言葉、行動、価値観のひとつひとつに、
「この人と未来を築ける?」と心の奥で問いかけている。
結婚するかしないかじゃない。
子どもを持つかどうかでもない。
その人と一緒に、“未来を考える時間を過ごせるか”が重要なのだと思う。
恋をするたびに、未来を見て不安になる夜もある。
でもそれは、私がちゃんと自分の幸せを考えている証拠。
誰かに愛されるだけじゃなく、
その愛を、未来までつなげていけるかどうかを真剣に見つめている証だ。
そしてその恋が、
数年後も、同じテーブルでコーヒーを飲みながら笑っていられる関係になっていたら――
それはもう、“奇跡”じゃなく“努力の結晶”なんだと思う。