「どうして、また私が追いかける側なんだろう?」
好きになった相手には、すでに他の誰かがいたり。
LINEの返信はいつも私からで、相手はそっけないのに「嫌いではない」と言う。
そんな恋のループに、心当たりがある人、きっと多いはず。
恋をすると、なぜか一方的に与えてしまう。
駆け引きも、余裕も手放して、相手の態度一つに一喜一憂してしまう。
“追いかける恋”は、スリルがある。燃えるような情熱も、ドラマチックな切なさもある。
だけど、終わったあとに残るのは、燃え尽きた自分の影だけだったりする。
じゃあ、なぜ私たちはそんな恋を繰り返してしまうのだろう?
思い返せば、子どもの頃から「努力は報われる」って信じて育ってきた。
勉強すれば点が取れるし、頑張れば認められる。
でも恋だけは、そうじゃない。
どれだけ尽くしても、どれだけ“いい女”でいようとしても、相手の気持ちはコントロールできない。
それなのに、「足りないのは私の魅力かも」と思ってしまう。
もっと可愛くなれば。
もっと返信のタイミングを考えれば。
もっと“都合のいい女”になれれば――。
気づけば、自分をすり減らす恋にどっぷりハマっている。
そうして、自分でも気づかないうちに「私は、追いかける役」だと設定してしまっているのかもしれない。
でも本当は、追いかけたいんじゃなくて、ただ“愛されたい”だけだった。
「追いかける恋」は、自分に自信がないときほどハマりやすい。
愛される価値があると信じきれないから、「頑張って勝ち取る恋」でしか愛を感じられないのだと思う。
でも、それって本当に愛なのかな?
ふと思う。
「追いかけた先にいる人」は、いつだって私のことを振り向かない。
そして、振り向かれた瞬間に、熱が冷めることだってある。
これはもう、“恋”という名のゲームをしてるだけなのかもしれない。
本当の恋って、きっと“追いかけなくてもそこにいる人”との間にある。
ふたりの間に安心があって、お互いが歩み寄るような関係。
派手さはないけれど、静かに心が満たされるような恋。
でも私たちは、まだ少しだけ、燃えるような情熱に憧れてしまう。
この人が必要なんだ、と信じたい。
この恋が報われたら、きっと“私”が証明される気がするから。
だけど、本当に証明したいのは、“相手への愛”じゃなく、“自分への価値”だったのかもしれない。
いつかきっと、追いかける恋じゃなくて、向き合う恋ができるように。
そのためにはまず、「追いかけなくてもいい私」を、私自身が認めてあげなきゃいけないのかもしれない。