「愛されたい」──その言葉は、私たちの心の中で静かに、でも強く響いている。恋愛において、友情において、家族関係においても、誰もが抱く根源的な願いだろう。しかし、時に私たちは「愛されたい」と「認められたい」という似て非なる感情を混同してしまうことがある。そこには、繊細で複雑な心理の絡まりが存在しているのだ。
愛されたい──存在の肯定を求めて
愛されたいという気持ちは、誰かに自分自身をそのまま受け入れてほしい、存在を丸ごと肯定してほしいという願いだ。
「ありのままの私を愛してほしい」──そんな素直な願いは、時に相手に伝わりにくく、私たちを戸惑わせる。
愛は、時に無条件のもののように語られるけれど、現実は少し違う。人は完璧じゃないし、相手のすべてを常に受け入れ続けるのは難しい。だからこそ、愛されたい気持ちは、安心感や居場所を求める感情に繋がりやすい。誰かの愛に包まれていると感じる時、私たちは心の深いところで「私はここにいていい」と思えるのだ。
認められたい──価値の証明を求めて
一方で、認められたいという気持ちは、自分の行動や存在に対して他者から評価されたいという欲求だ。
仕事で成果を上げた時に褒められたい、友達から「すごいね」と言われたい、恋人から尊重されたい。
この「認められたい」は、自己肯定感を補強し、自信を持つために必要な心の栄養でもある。
しかし、認められたい欲求は時に「他者の評価」に依存しすぎることがあり、その結果、評価が得られない時に自己否定に陥ってしまうリスクもはらんでいる。
なぜ「愛されたい」と「認められたい」が混ざるのか
多くの場合、「愛されたい」と「認められたい」の境界は曖昧だ。なぜなら、どちらの感情も「自分を大切に思ってほしい」という根源的な欲求に根ざしているからだ。
たとえば、彼からの「好きだよ」という言葉は愛情表現であると同時に、自分の存在を認めてくれている証とも感じられる。だからこそ、愛されたいがために、認められたいという期待も高まり、その両者はごちゃ混ぜになってしまう。
また、愛されたいあまりに自分を犠牲にしてまで相手に認められようとしたり、認められたいがために見せかけの愛情を追い求めたりすることもある。そんな時、心は疲弊し、恋愛関係は本来の温かさを失ってしまう。
自分で自分を認め、愛することの難しさ
だからこそ、恋愛における「愛されたい」願望を健全に保つには、まず自分で自分を認め、愛することが大切だ。
しかし、自分自身を認めることは意外に難しい。
自分の欠点や弱さ、過去の失敗を直視しながら、それでも自分を許し、受け入れるには勇気がいる。
自分を愛せる人は、他者からの愛も受け取りやすくなる。逆に自分を認められないと、他人の愛情に過剰に依存し、失った時のダメージも大きくなる。
具体的なセルフケアの方法
自分を認め、愛するためには、日常に小さな習慣を取り入れてみるとよい。
・今日できたことを書き出す
・鏡の前で自分に優しい言葉をかける
・感謝の気持ちを持つ
・無理せず休む時間を作る
これらは決して大げさなことではないが、積み重ねることで自己肯定感を育み、他者との健全な関係を築く土台となる。
愛されたいと認められたいの間で揺れる私たちへ
恋愛は決して完璧なものじゃないし、誰かに愛されることも、認められることも、保証されているわけじゃない。
でも、愛されたいと認められたい、その気持ちに正直に向き合うことは、自分と相手への理解を深める第一歩となる。
そして、愛も認められることも、まずは自分自身から始まるもの。
自分を大切にできた時、恋愛はもっと豊かで、心地よいものになるはずだ。
愛と認められたい気持ちの微妙な境界線に戸惑う夜、
このコラムが少しでもあなたの心の灯りになれば嬉しい。