出逢いは、雨の午後だった
午後三時、喫茶店の窓辺で珈琲を飲みながら、私は彼の名前をふと思い出していた。
6年前のことだ。
梅雨の終わり、濡れたアスファルトの匂いがまだ生々しいある午後。
取材帰りの私は、地下鉄の改札前で派手に転びそうになった。
そのとき、誰かの腕が私の体を支えた。細く、でも確かに温かい腕だった。
「大丈夫ですか?」
顔を上げると、そこには、まるで雨上がりの空のような表情をした男性が立っていた。
黒い傘、濡れたスニーカー、そしてどこか影を秘めた瞳。
彼の名前は、カズキ。
私より3つ年下の、花屋の店長だった。
花束と秘密
彼の店は、小道を入った場所にひっそりとあった。
そこにしか咲かないような、淡い紫のデルフィニウムが店先で風に揺れていたのを、今も思い出す。
最初のきっかけは「お礼の花束」だった。
あの日、私を支えてくれたお礼に、何かを贈りたかった。
でも、彼は言った。
「花は、もらうより渡すほうが好きなんです。」
それから、季節が移り変わるごとに彼に会いに行くようになった。
私の部屋にはいつも、彼が選んだ一本の花が飾られていた。
でも、ある晩――
彼は言った。
「オレ、秘密があるんです。言ったら、きっと驚かれると思う。」
私は聞かなかった。聞くのが怖かった。
ただ、頷いて笑った。「秘密があるって、ちょっと格好いいね」って。
あの時、ちゃんと聞いていればよかった。
彼はその翌月、姿を消した。
再会のヒントは“声”だった
それから6年。
彼は私の記憶のなかで花束のように形を変えながら咲き続けていた。
忘れたくても、街中で紫の花を見るたびに、心が疼いた。
そんなある日、原稿に煮詰まって「恋愛電話相談」の体験記事を書くことにした。
冗談半分で電話をかけた先の占い師は、やさしい声の女性だった。
だが、相談の終わり際にこう言った。
「あなた、過去に“聞けなかった言葉”がありますね。
それ、相手のほうもずっと言えずにいたんですよ。
彼は、今も“声”でつながりたいと思ってます。」
その瞬間、私は奇妙な既視感に襲われた。
“声でつながりたい”
…まるで、あの時の彼の言葉みたいだった。

続く物語…
この電話占いが導いたのは、ただの偶然か、それとも——
彼がいま、どこかで“声”になって私に届こうとしているのか?
次回、「②:彼の声、もう一度。」
