「尽くせば愛される」と思い込んでいた日々
「好きな人には何でもしてあげたい」
「私が支えてあげなきゃ、彼はダメになっちゃう」
そんなふうに、私はいつも“尽くす側”だった。
彼が仕事で遅くなれば、夜中でも手料理を届けに行く。
体調を崩せば、病院の付き添いも、看病も当然のようにこなした。
誕生日や記念日には、サプライズやプレゼントを欠かさず用意して、
LINEの返信が来ない日は、心配して電話をかけまくった。
「好きだから」っていう気持ちが原動力だった。
でも本当は、「愛されたい」「必要とされたい」という気持ちが隠れていた。
「好き」なのに、なぜかいつも苦しい
私が付き合った人たちは、最初こそ喜んでくれた。
「本当に優しいね」「気が利くね」「大事にされてる感じがする」
でも、しばらくすると彼らの態度は変わっていった。
連絡は雑になり、会う頻度も減っていき、
ついには私の「してあげること」が“当たり前”になった。
誕生日にサプライズをしても、「ありがとう」さえ返ってこない。
手料理を作っても、「それよりコンビニでいいや」と言われる始末。
「なんでこんなに頑張ってるのに、報われないの?」
私の中に、モヤモヤした悲しみと怒りが積もっていった。
“尽くし疲れ”で恋愛が怖くなった
最後に付き合った彼とは、1年半で別れた。
私が体調を崩したとき、彼はこう言った。
「看病とか苦手なんだよね。そういうの、無理。」
これまでずっと、“彼のために”動いてきた私にとって、
その一言はあまりにも残酷だった。
「あぁ、私は“都合のいい女”だったんだ」
そう思った瞬間、心がふっと冷えて、恋愛に対して心を閉ざしてしまった。
電話相談で出会った、もう一人の私
恋愛に疲れ果てた私は、誰にも話せない思いを抱えていた。
そんなとき、たまたま目にしたのが「ココナラ電話相談」だった。
「尽くす恋から抜け出せない人へ」
そんなタイトルの相談サービスが目にとまった。
藁にもすがる思いで電話をかけた。
すると、優しい声のカウンセラーがこう問いかけてくれた。
「尽くすことで、あなた自身は満たされていましたか?」
「“愛される価値がある”って、自分で信じられていますか?」
私は言葉に詰まり、気づけば泣いていた。
“与えれば愛される”という思い込みに縛られていた自分が、
初めて解放された気がした。

「しない勇気」を持ったその日から
それから私は、“尽くさない”練習を始めた。
好きな人ができても、自分から追いかけるのをやめてみた。
連絡も、自分からばかり取らないようにした。
最初は不安だった。
「私が何かしないと、好かれないんじゃないか」
「何もしてないのに、離れていかれたらどうしよう」
でも、そこでふと気づいた。
「もし、何もしてないだけで離れていく人なら、
それって“私そのもの”を愛してるわけじゃないよね?」
私が与えた“サービス”だけを求めてたんだ。
初めて対等に向き合える恋が始まった
そんなときに出会ったのが、今の彼・蓮(れん)だった。
彼は、私が何かをしてあげようとすると、
「大丈夫、自分のことは自分でやるから」と、笑って断ってくる。
最初は戸惑った。
「私、何もしなくていいの?」と、物足りなく感じるほどに。
でも、彼は私が弱っているとき、
「今日は何もしなくていいよ。そばにいるだけでいい」と言ってくれた。
“尽くすこと”ではなく、“一緒にいること”そのものを喜んでくれる人。
私は、やっと安心できる恋を知った。
愛は“役割”ではなく、“存在”に宿るもの
昔の私は、愛されるために「役に立たなきゃ」と思ってた。
料理が上手、気が利く、尽くしてくれる——
そういう「条件付きの価値」で恋をしてた。
でも今は違う。
私が笑っているだけで、彼は喜んでくれる。
私がただ、そこにいるだけで、大切にしてくれる。
それは、私が“尽くさない私”にも価値があると、
自分で認められるようになったからだと思う。
自分を後回しにしない恋をしよう
恋愛において、「相手のために動くこと」が悪いわけじゃない。
でも、“自分を犠牲にしてまで”尽くす必要なんて、どこにもない。
愛は、対等な関係の中でこそ育まれるもの。
誰かのためにすべてを捧げて、ボロボロになってしまう恋は、
あなたを幸せにはしない。
“愛され上手”になりたいなら、自分を大切にすることから
尽くすことをやめて、自分の時間を楽しむようになったら、
不思議と恋愛もうまくいくようになった。
「また会いたいな」と思ってもらえるのは、
“自分を大事にしている人”だからこそ。
あなたもぜひ、「してあげる恋」ではなく、
「寄り添い合える恋」を目指してほしい。
まとめ:尽くさないからこそ、深く愛される恋がある
愛されたい一心で、尽くし続けた過去。
でもその先には、孤独と虚しさしかなかった。
自分を大切にすることを覚えた今、
私はやっと、本当の意味で「愛されている」と感じられるようになった。
尽くす恋をやめたとき、
愛され方が変わった。
いや、私自身が“愛される価値のある人間”だったと、
ようやく気づけたのかもしれない。
