「私ばっかり…」と心の中でつぶやいた夜
「また私が謝ってる」
「また私が予定を合わせてる」
「また私がごはん作ってる」
付き合い始めの頃は、何もかもが楽しくて、
彼のために何かをしてあげるのが幸せだった。
でも、気がつくと私は“してあげる人”になっていて、
彼は“される側”に慣れていた。
心の奥に、ふとよぎる。
「これって、本当に愛されてるのかな?」
恋は「ギブ&テイク」…のはずだった
恋愛は、ふたりで支え合うものだと思ってた。
片方だけが我慢したり、与え続けたりするものじゃないって。
でも、彼は変わらない。
お願い事は「ごめん、また今度ね」で流され、
記念日も「仕事忙しくて忘れてた」で終わる。
そのたびに、私は自分を納得させた。
「忙しいんだもんね」「私がやればいいか」って。
けれど、心の奥底ではこう思っていた。
「どうして私だけ、頑張ってるんだろう」って。
尽くすことで“好かれよう”としていた自分
友達に愚痴をこぼすと、彼女は真っ直ぐに言った。
「それって、彼のためじゃなくて、
“見捨てられたくない自分”のためにやってない?」
その言葉が、心に刺さった。
私がしていたのは、「愛情表現」じゃなかった。
「嫌われたくないから」「重いと思われたくないから」
“役に立つ私”を演じて、彼のそばにいるための行動だった。
それって、本当の愛なのかな?
それとも、不安の仮面をかぶった“依存”だったのかな?
電話相談で知った「与える人」になりすぎる癖
夜、涙が止まらず、ココナラの電話相談を使ってみた。
プロのカウンセラーに話したのは、こんな言葉だった。
「いつも私ばかりが尽くしてる気がして、でもやめると嫌われそうで怖いんです」
そのとき、やさしい声でこう返ってきた。
「あなたは幼い頃から、“いい子”でいようと頑張ってきませんでしたか?
誰かに迷惑をかけないように、自分を抑えて生きてきたんじゃないですか?」
私は、電話の向こうで小さくうなずいた。
そう、私は“頑張り屋さんのいい子”だった。
親に迷惑をかけたくなくて、自分の気持ちは後回しだった。
その生き方が、大人になっても続いていたんだ。
恋愛の中でも、“私さえ我慢すれば”と自分をすり減らしていた。

“してあげる恋”は、やがて苦しみに変わる
最初は純粋に「喜んでほしい」という気持ちだった。
でも、バランスが崩れると、
「私ばかりが動いてる」という不満に変わってしまう。
彼に何かをしても、返ってこないと虚しくなる。
それは、心のどこかで“見返り”を求めていたから。
でも、それが悪いことじゃない。
「与えたら、少しは返ってきてほしい」
そう思うのは自然なこと。
愛は一方通行じゃ続かない。
それは、自己犠牲の上には成立しないんだ。
私は「尽くす恋」より、「対等な愛」を選びたい
ある日、思い切って彼に言った。
「なんかね、最近ちょっと苦しいの。私ばっかり頑張ってる気がして」
彼は少し戸惑っていたけど、
「そんなふうに感じさせてたなら、ごめん」と言ってくれた。
そこから少しずつ、変わっていった。
彼が「何か手伝うことある?」と聞いてくれるようになった。
私も「自分の気持ちを言っていいんだ」と思えるようになった。
「尽くす」から「伝える」に変えただけで、
恋の空気が少しずつ、柔らかくなっていった。
愛されるって、“頑張らなくていい場所”を持つこと
恋愛の中で、無意識に「がんばらなきゃ」って思ってしまう人は多い。
でも、本当に愛されているときって、
“がんばらなくても大丈夫”って思えるはずなんだ。
尽くさなくても
合わせなくても
「私が私でいるだけで、愛されている」と思える恋。
それが、“しあわせな恋”のはじまり。
まとめ:「私ばかりが…」と思ったときは、自分に立ち返る
「自分ばかりが尽くしてる」と感じたら、
それは相手を責める前に、“自分の心のクセ”に気づくサインかもしれません。
・「見捨てられないように」と無理してない?
・「役に立たないと愛されない」と思ってない?
・「がんばる自分」だけを認めてない?
恋愛は、“自分を大切にする練習”でもあります。
そして、自分を大切にできる人こそ、
相手との関係もバランスよく育てていける。
“尽くすこと”でつながっていた恋から、
“寄り添い合える”恋へ。
あなたが無理せず愛される未来は、
ちゃんと、待っていてくれます。
